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さよならウィリアムズ、また会う日まで

ウィリアムズの株式売却が8月下旬に発表され、その後イタリアGPを最後にウィリアムズ家も現場から離れることが発表されました。

まず売却を聞いて素直に良かったなと思いました。F1ビジネスはとてもタフです。多くのチームが撤退したり破産したりしています。それは名門チームも例外ではありません。過去にチャンピオンを獲得した多くのチームがF1から消えていきました。

そんな中、ウィリアムズの売却が決まりウィリアムズの名前が残るというのですから、安心したというのが第一印象でした。

そしてその後、イタリアGPを最後にウィリアムズ家がチーム運営からは手を引く、つまり現場には関わらないと発表がありました。これには正直寂しさを感じましたね。

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ビッグビジネス化が進むこのF1で、最後まで残ったレーシングチームがウィリアムズだと思うからです。ロン・デニスが先鞭をつけたF1のビジネス化ですが、正直ウィリアムズはその流れに取り残されていました。その結果が最近の低迷だったのですが、それはそれで良かったと思っていました。

その流れに乗り遅れたことで、ウィリアムズはいくつかの大きなスポンサーを他のチーム(特にマクラーレンにはエンジンやデザイナーも)に取られることになりましたが、それもまた彼らの流儀だったのでしょう。

ウイリアムズは1970年代に一度F1に参加しましたが資金難からチームを手放さざるを得ませんでした。そして当時は時代を先取りした中東マネーを手に入れて1978年にウィリアムズ・エンジニアリングとして、F1にカムバックしたフランク・ウィリアムズ。

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エンジニアのパトリック・ヘッドと共に吹けば飛ぶような弱小チームが優勝しチャンピンを取り、その後いくつかの浮き沈みはありましたが、この生き馬の目を抜く厳しいF1の世界で43年間もの間、活躍してきたのは現代の奇跡と言っても過言ではないと思います。

最初の黄金期がFW07で弱小チームからトップチームへ飛躍した1980年代前半。その後、ホンダと組みトップに返り咲いた1980年代後半。ホンダと別れてルノーと黄金期を作った1990年代。そしてしばしの低迷を経てBMWと組み2000年代に再びトップチームに返り咲きます。素晴らしい思い出がたくさんあります。

その途中ではフランクの事故による半身不随や、ホンダとの別離、ニューウェイの加入による栄冠と離脱による低迷。多くの浮き沈みを経験してきました。

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私にとっては自分で判断がつくようになってF1を見るようになった頃にFW07が速さを見せるようになった時代が感慨深いですね。当時はまだF1は全戦中継していませんでした。ウィリアムズが初優勝したイギリスGPがたまたま録画中継されていて、今でもその光景は覚えています。エースのアラン・ジョーンズではなく、クレイ・レガッツォーニでしたね。その後、ウィリアムズ・ホンダになった頃からは全戦中継が始まりましたが、F1の放送が貴重な時代の印象は忘れられません。

今のF1はウィリアムズのような小さなチームが活躍できるようなスポーツではなくなりました。それは時代の流れなのでしょう。でも21世紀なった今まで、最後のレーシングチームであるウィリアムズが今まで残っていてくれたこと自体が、現代の奇跡なのかもしれませんね。と奇跡のようなガスリーの勝利を見た後で思いました。

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新経営陣からはウィリアムズ家に対して慰留はあったようですが、このタフなF1世界でやったいくのはハードで中途半端な気持ちではできないので、このタイミングで自ら退くことを決めたようです。クレアもこの数ヶ月の売却交渉で疲れたのでしょう。

最後にフランク、クレア、長い間お疲れ様でした。
お二人がウィリアムズ家がF1の現場から去ったとしても、二人のことを永遠に忘れることはないでしょう。