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ホンダの赤字決算が照らし出す、F1エンジン戦略「大転換」の核心

70年ぶりの赤字転落。4230億円という数字が突きつけたのは、単なる財務上の失敗ではない。ホンダが国家的な賭けに出た「EV全振り」戦略の綻びであり、奇しくもそれはF1パドックで渦巻く「脱EV・内燃機関回帰」の議論と、鏡合わせのように重なり合っている。2026年の新レギュレーション施行を目前に控えた今、ホンダの決算報告は、F1の未来そのものへの問いを突きつけている。

ホンダ、70年目の「敗北宣言」——数字の裏側にある構造的失敗

1957年の上場以来、最悪の決算。しかもその損失の多くは、未来への投資として積み上げてきたEV・電動化戦略のコストに起因している。CEO三部敏宏が説明したように、問題は投資そのものではなく、その投資が「期待した市場の現実」と乖離してしまったことにある。

特にアメリカ市場での誤算は深刻だ。世界最大規模の自動車市場であるアメリカでは、バイデン政権下で整備されたEV普及策——とりわけ最大7500ドルの購入税額控除——を前提とした需要予測を組んでいた。しかしトランプ政権は2025年9月にこの制度を廃止。一夜にして市場環境が激変した。

結果として、カナダで計画していた110億ドルというEV・バッテリー生産への巨額投資は凍結。さらに「2030年までに新車販売の5台に1台をEV化」「2040年までに全車EV化」という二つの中長期目標も、事実上の白紙撤回に追い込まれた。

ここで重要なのは、ホンダが単に「計画が遅れた」のではなく、戦略の前提そのものを見直すほどの路線変更を余儀なくされたという点だ。これは2021年末のF1撤退決断と、構造的に同じ問題を抱えている。あの時も「EV時代に向けてリソースを集中する」という論理は一見合理的だったが、その「EV時代」の到来が当初の想定通りには進まなかった。

HRCは「聖域」か——F1プロジェクトへの直接的影響を整理する

財務発表を受け、ホンダ側は素早く火消しに動いた。HRCはF1を含むモータースポーツ活動に「特定の変更は生じない」と明言し、HRCが本体の財務変動とは切り離された事業体であることを強調した。

この説明は財務構造上は正確だ。HRCはモータースポーツ活動を専門に担う独立した法人であり、ホンダ本体の単年度損益がそのまま予算に直結するわけではない。レッドブルとのF1パートナーシップは2026年以降も継続が決まっており、2026年型PUの開発は着実に進んでいるとされる。

しかし「直接的な影響がない」ことと「中長期的な戦略判断に影響しない」ことは、まったく別の話だ。

2021年のF1撤退を振り返れば、当時の意思決定も「財務上の問題」から始まったわけではなかった。パンデミックによる業績悪化を背景に、経営陣がEVシフトへのリソース集中という「戦略的判断」を下したことが引き金だった。今回の赤字決算は、その「戦略的判断」自体が誤りだった可能性を示唆している。

つまり問うべきは、ホンダが2026年以降もF1にコミットし続けるかどうかではなく、「どんな名目でF1に関わり続けるのか」という部分だ。EV技術の実証フィールドとしてのF1という大義名分が薄れた時、ホンダの経営陣がモータースポーツへの投資をどう正当化するか——そこに本当のリスクが潜んでいる。

2026年レギュレーション——「電動化の申し子」は生き残れるか

2026年F1の新パワーユニット(PU)レギュレーションは、現行の複雑なハイブリッドシステムをさらに進化させたものだ。大まかに言えば、ICE(内燃機関)出力を現行の550〜600bhp程度から約400bhp台に抑制する一方、MGU-K(運動エネルギー回生システム)の出力を大幅に向上させ、ICEと電動モーターの合計で従来と同等以上の総出力を確保する設計思想を採用している。

このレギュレーションが策定された背景には、ホンダとアウディという2社のOEMメーカーが「自社のEV・電動化戦略との整合性」を強く求めたという経緯がある。F1 CEOのドメニカリ自身が「OEMメーカーの意見を少し聞きすぎたかもしれない」と認めたのは、まさにこの文脈においてだ。

しかし現実として、このレギュレーションはすでに確定し、各チームとPUメーカーは多大な開発リソースを投入している。ホンダ、メルセデス、フェラーリ、ルノー(アルピーヌ)、そしてアウディ——すべてのPUメーカーが2026年型の開発を進めている。今さら2026年のレギュレーションを覆すことは現実的ではない。

問題は、その「次」だ。

V8復活論の深層——ノスタルジーではなく「生存戦略」

FIA会長ベン・スライエムの「V8は間違いなく復活する」発言は、単なるサプライズ発言として消費されるべきではない。その言葉の背後には、複数の複雑な力学が働いている。

まず、現行および次世代レギュレーションの「複雑すぎる」という問題がある。現行PUは開発・製造コストが莫大で、新規参入の障壁になっている。2026年型もその方向性を引き継いでおり、アウディの参入は決まったものの、他の新規メーカーが容易に参入できる環境とは言いがたい。

次に、自動車産業全体のEV戦略見直しという潮流がある。ホンダだけではない。フォルクスワーゲングループ(アウディの親会社)も、GMも、フォードも、それぞれEV投資の縮小や計画変更を余儀なくされている。「F1がEV技術のショーケースであるべき」という前提自体が、業界全体で揺らいでいる。

そして、ファンと放映権収益という「ビジネスの現実」がある。F1が収益として依存するのは観客動員とメディア露出であり、その魅力の核心にあるのは依然としてエンジン音とスピードの官能性だ。Netflix「Drive to Survive」が証明したように、F1は感情的な体験として消費されるエンターテインメントだ。複雑なハイブリッドシステムの技術的精緻さは、コアなエンジニアには訴求するが、新規ファン層の獲得において必ずしも強力な武器にはならない。

トト・ウォルフが示した方向性——「ICEから800bhp、電動から400bhpの合計1200bhp」というビジョン——は、技術的なバランスとして実は非常に示唆的だ。現在のPUと比較してICE比率を高めながらも、電動化の要素を完全には排除しない。持続可能燃料(SAF)との組み合わせで環境的な正当性も確保できる。

ホンダとアウディ——最大の「矛盾」を抱える2社の選択

V8回帰論が加速する中で、最も複雑な立場に立たされているのがホンダとアウディだ。

アウディは2026年のF1参入に向け、ザウバー(現アウディF1)チームの買収を進め、PU開発に多大な投資を行っている。現行2026年レギュレーションは、アウディの参入を前提とした設計でもある。もし2031年以降のレギュレーションがV8中心に転換するなら、アウディは「参入と同時に時代遅れになるレギュレーションでF1を戦う」という皮肉な状況に直面する。

ホンダの場合はさらに複雑だ。2026年PUの開発はすでに相当程度進んでいるが、今回の決算が示すように、「電動化こそが未来」という大義名分は大きく傷ついた。レッドブルとのパートナーシップを継続しながら、次世代レギュレーション議論においてどういうポジションを取るか——それ次第では、2021年の撤退・復帰というドラマの「第三幕」が描かれる可能性もゼロではない。

一方でポジティブな見方をすれば、ホンダには強力なICE技術の蓄積がある。V8+SAFという方向性は、むしろホンダが長年培ってきたエンジン技術の強みを活かせる土台でもある。EV戦略の躓きが、逆説的にF1でのホンダの競争力を高める環境を作る可能性も十分にある。

ベン・スライエムの「2030年」宣言——レギュレーション政治の現実

「FIAは2031年にはPUメーカーの投票なしでもレギュレーションを施行できる。しかし我々は1年前倒ししたい」というベン・スライエムの発言は、非常に政治的な意味合いを持つ。

これはFIA会長が、PUメーカー(ホンダ、メルセデス、フェラーリ、ルノー、アウディ)の合意なしにでもレギュレーション変更を断行する意志があることを、公の場で表明したということだ。歴史的に見て、こうした「トップダウン型」のレギュレーション変更は、特定のメーカーとの激しい軋轢を生んできた。

しかし同時に、ドメニカリが「今や世界は大きく変わっている」と語り、メルセデスがV8に前向きで、フォードも内燃機関回帰を支持するという状況は、従来とは異なる「合意形成の地盤」ができつつあることを示している。

残る問いは、アウディとホンダが——自社の置かれた経営状況を踏まえながら——この流れにどう向き合うかだ。

エンジンの咆哮が問いかける、F1の「本質」

V8の咆哮が戻ってくるかどうかは、まだ分からない。しかしこれだけは言える——F1は今、「技術的先進性」と「スポーツとしての魅力」という、長年先送りにしてきた根本的な矛盾と向き合う時を迎えている。

ホンダの4230億円の赤字は、その問いに対する市場からの一つの答えだ。EV化を急ぎすぎた企業の蹉跌として読むこともできるし、エネルギー転換の過渡期に生じた一時的な痛みとして読むこともできる。

だが少なくとも確かなのは、「電動化こそが正義」という単純な物語は終わり、より複雑で現実的なエネルギー戦略の模索が始まっているということだ。

その文脈において、F1が持続可能燃料で動くV8エンジンへと舵を切ることは、後退ではなく「現実との和解」として語られるべきかもしれない。そしてその和解を最も象徴することになるのは、皮肉にも「EV時代のために一度F1を去り、そして戻ってきた」ホンダ自身になるかもしれない。

F1パドックに今、聞こえてくるのは過去のエンジン音ではない。時代そのものが、ギアを入れ直す音だ。