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「もしも」が支配したレッドブル・リンク ― ラッセルの完全勝利の裏にあった、フェルスタッペンとアントネッリの誤算:オーストリアGP観戦記

真夏の酷暑に見舞われたレッドブル・リンク。ジョージ・ラッセルはポールポジションから一度もトップを譲ることなく、メルセデスに待望の勝利をもたらした。文句のつけようのない完璧な週末に見える。しかし、レース後のタイミングデータを丹念に洗い直すと、まったく違う物語が浮かび上がってくる。もしレッドブルがピットタイミングをわずかに前倒ししていたら。もしアントネッリのピットストップが数十秒早ければ。この2つの「もしも」は、いずれも十分な現実味を帯びていた。ラッセルの勝利は、彼自身の完璧な仕事の産物であると同時に、ライバルたちが決断を誤った結果でもあったのだ。ラップタイムを追いながら、その分岐点を検証していく。

予選 ― シングルイエローという際どい判断

土曜日の予選、フェルスタッペンがクラッシュを喫した際に出された旗の色を巡っては、開始当初からダブルイエロー(2本黄旗)を出すべきだったという指摘が少なくない。しかし実際にコース上で提示されたのはシングルイエロー(1本黄旗)であり、ラッセルはその制約の中で結果を出さねばならなかった。

減速義務を果たしつつ、スチュワードから問題視されない範囲でアタックラップを成立させる。当該イエローフラッグ区間での減速ロスを他のセクターで取り返し、ルクレールを上回るタイムを刻んでポールポジションを確定させた。この時点でスチュワードに異議を唱える余地を与えなかったことが、日曜日のレース運びを大きく楽にしたと言っていい。

もう一つ見逃せないのがメルセデスのスタート手順の進化だ。シーズン序盤、ラッセルとアントネッリはともにスタートでポジションを落とす場面が目立ったが、オーストリアの時点ではその弱点はほぼ解消されていた。事実、1コーナーでワイドに膨らむミスを犯したアントネッリでさえ、大きくポジションを失わずに済んでいる。この「スタートの安定感」こそが、後の展開を左右する伏線となった。

序盤 ― フェラーリの攻勢とその限界

1周目、フェラーリ勢――シャルル・ルクレールとルイス・ハミルトン――はラッセルへのプレッシャーを強めた。シーズン序盤のマイアミGP以前であれば、2台の”ロッソ・コルサ”がスタートでラッセルを飲み込んでいた可能性すらあっただろう。しかし前述のスタート手順改善により、ラッセルは優位なポジションを守り切った。

ハミルトンがオーバーテイクシステムを駆使して迫る場面もあったが、ラッセルはDRS圏外となる1秒のギャップをコンスタントに維持し、これを無力化。フェラーリがこの週末にできる攻撃は、実質的にこの1周目が最大瞬間風速だった。

フェラーリの狙いは明確だった。ハミルトンにバルセロナでの勝利をもたらした3ストップ戦略の再現である。しかし、SF-26のレースペースはその戦略を成立させるには明らかに不足していた。ハミルトンは12周目終わりに3ストップを見込んでピットに呼び戻されるが、これが皮肉にも後方のフェルスタッペンに前方視界を開けさせる結果を招く。フェラーリの戦略的賭けは、マシンのペース不足によって不発に終わったばかりか、ライバルであるレッドブルの前進を助けることにすらなった。

RB22の進化とフェルスタッペンの追い上げ

予選でターン9の壁にマシンを激突させたフェルスタッペンだったが、土曜夜のうちに修復を終え、日曜のグリッドに着いた時点ではRB22のシャシーに一定の手応えを感じていたという。今季のRB22は軽すぎるハンドリングに悩まされてきたが、この週末に投入されたダウンフォース増強のアップデートパッケージが噛み合い、フェルスタッペンは2周目には早くもルクレール、アントネッリという上位勢を射程に捉えていた。ルクレールがターン3・4でアントネッリを抑え込んでいる隙を突いて前方のバトルに割り込むと、その後は着実にポジションを上げていく。

12周目終わりのハミルトンのピットインで前方の視界が開けると、フェルスタッペンはラッセルとの差を数周で1秒縮めたのち、18周目にピットストップ。復帰直後には、数周前にハミルトンから受けた強引な追い越し(グラベルに押し出されたとフェルスタッペン自身が不満を漏らしていた場面)への”仕返し”とも言えるムーブをターン6で決め、2021年のタイトルライバルを寄せ付けずに2位を獲得した。

データで読む「詰め切れなかった1.4秒」

ここからがこのレースの核心部分だ。2位に浮上したフェルスタッペンは、ラッセルとの差をじりじりと削り始める。アレックス・アルボンがコース上にボラードを弾き飛ばしたことで導入されたバーチャル・セーフティカー(VSC)が解除された時点で5.6秒あったギャップは、その後14周をかけてわずか1.4秒にまで縮小した。しかし、ラッセルのマシンが巻き起こす乱気流(ダーティエア)に阻まれると、その差は1.3〜1.4秒付近でぴたりと膠着状態に陥ってしまう。

そして訪れた43周目終わり、ラッセルが2回目のピットストップに向かう。ここでレッドブルは重大な選択を下した。フェルスタッペンを追随させず、あえて6周引っ張って最終スティント用のタイヤの”貯金(オフセット)”を作る作戦に出たのである。

この6周の引っ張りによって生じたタイムロスは合計9.285秒。ピットアウト時点でのギャップは10.656秒にまで開いてしまった計算になる。

では、フェルスタッペンがラッセルと同一周(43周目)でピットインしていたらどうなっていたか。VSCの影響を受けた52・53周目を除外し、ピットアウト後の実際の周回ペースをそのまま当てはめてシミュレートすると、この理論値では、48〜51周目の時点でフェルスタッペンがラッセルの1秒圏内に到達している。実レースでこの圏内に入ったのは70周目手前であり、その差は実に20周近い。つまりレッドブルの”待ち”の判断が、フェルスタッペンから最大20周分の攻撃機会を奪ってしまった可能性が、データからは色濃く浮かび上がるのだ。

もっとも、レース終盤のロングランを見る限り、フェルスタッペンの作戦にも一定の根拠はあった。60周目以降のラッセルは1分11秒台後半のラップを重ねるようになるが、これはリードを守るための温存というより、タイヤのデグラデーションによる自然なペースダウンに近い。対するフェルスタッペンは65周目まで1分10秒台をキープし、1分11秒台に入っても1.1〜1.2秒台にとどまっていた。ラッセルが最後の7周で初めて1分11秒台後半に沈んだことを踏まえると、フェルスタッペンが築いていたタイヤの”貯金”効果は本物だったと言える。

レース後、フェルスタッペン自身も「第2スティントの中盤でマシンとリヤアクスルに何か問題が起き、ペースを落とすことになった。それが最後まで尾を引いた」と振り返っている。タイヤのデグラデーションでは優位を感じていたと明かしており、マシントラブルという不可抗力がなければ、あるいは戦略のタイミングがもう数周早ければ、結果は違っていた可能性も十分にある。

アントネッリを見舞った不運なVSC

もう一人の「勝てたかもしれない男」が、チャンピオンシップをリードするキミ・アントネッリだ。オープニングラップでランド・ノリスにすら追い上げられる場面があり、序盤は自滅気味の滑り出しとなった。しかし第2スティント以降のペースは圧巻で、チームメイトのラッセルとの差を13秒から7.3秒まで一気に詰めている。

2回目のストップ後もいったん13.9秒差までつけられたが、そこから最終20周で12秒を回収し、チェッカーフラッグではわずか2秒差まで肉薄した。この終盤の追い上げペースは、実はフェルスタッペン以上だったことが後述のシミュレーションから見えてくる。

アントネッリにとって最大の分岐点は、1回目のピットストップのタイミングだった。彼がまさにピットに向かっている最中、カルロス・サインツのウィリアムズがコース上でストップ。ところがVSCが発動したのは、アントネッリがピットレーンを出た直後だったのである。

このタイミングのわずかなズレが致命的だった。直後にピットへ向かったハミルトンや両アストンマーティン勢は、VSC下での”割安”なピットストップを享受し、本来21秒前後かかるはずのタイムロスをおよそ10秒にまで圧縮している。もしアントネッリにも同じ恩恵があれば、ピットイン直前に築いていたラッセルへの7.2秒、フェルスタッペンへの10.8秒というリードはほぼそのまま温存され、VSC明けにはフェルスタッペンとほぼ横並び、しかもより新しいタイヤを履いた状態でレースを再開できていた計算になる。

このVSC区間でもう一つ興味深いのは、ラッセルがデルタタイム(規定タイム)を寸分違わず守り、リスタート直後の加速でもフェルスタッペンから1.5秒を奪っていた点だ。リスタート時点でラッセルは約5秒のリードを築いており、もし”割安ストップ”によってアントネッリがフェルスタッペンのすぐ背後についていたなら、フェルスタッペンは新品タイヤのアントネッリの攻撃を背中に感じながら、ラッセル追撃どころではなくなっていた可能性が高い。

さらに言えば、終盤にフェルスタッペンが見せたのと同等のペースでアントネッリがラッセルを追い詰めていたなら、彼はチームメイトのわずか1秒後方にまで迫っていた計算になる。実際のアントネッリのレースペースはラッセル、フェルスタッペンのいずれをも上回っていたことを踏まえれば、バルセロナGPで見せたような終盤の逆転劇――土壇場でラッセルの防衛線を突破し2位に躍り出た(その後リタイアしたものの)あのシーン――が、オーストリアでも再現されていた可能性は十分にあった。

「もしも」の交差点

整理すると、このレースには少なくとも2つの明確な分岐点が存在した。

  1. フェルスタッペンのピットストップ延長:同一周、あるいは1周遅れでのストップであれば、最大20周分早くラッセルを射程圏に捉えられていた可能性がある。
  2. アントネッリのVSCタイミング:わずか数十秒のズレがなければ、フェルスタッペンと横並びの状態で、かつ新品タイヤでレース再開を迎えられていた可能性がある。

この2つの”if”が両方とも成立していたら――フェルスタッペンとアントネッリが早い段階でラッセルを両側から挟撃する展開になっていたら――結果は大きく変わっていたかもしれない。「疑問形の見出しの答えは常にノーである」というベタリッジの法則を持ち出すまでもなく、今回に関しては明確に「イエス」と言える余地があったのだ。

チャンスを掴んだのはラッセルだけだった

とはいえ、レースは”if”では動かない。予選でのシングルイエロー対応、そしてVSC下での完璧なデルタ管理。与えられたチャンスを一切取りこぼさなかったことこそが、ラッセルを勝利へと導いた最大の要因である。フェルスタッペンにもアントネッリにもチャンスの芽はあった。しかし、それを現実の結果に変換できたのはラッセルただ一人だった。

この勝利により、ラッセルはドライバーズチャンピオンシップ2位に返り咲き、アントネッリとの差は40ポイントにまで縮まった。レッドブルが今回のピット戦略をどう総括し次戦に活かすのか、そしてアントネッリがこの惜しい結果をどうエネルギーに変えていくのか。タイトル争いは、ここからさらに面白くなっていきそうだ。