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ニキ・ラウダ列伝

Niki Lauda (AUT) Mercedes AMG F1 Non-Executive Chairman at Formula One World Championship, Rd10, British Grand Prix, Practice, Silverstone, England, Friday 14 July 2017.

たいそうなタイトルをつけましたが、私のラウダの回顧録になります。ニキ・ラウダに関しては多くの人が書かれているので、本当に私的な思い出を語りたいと思います。
 
私がラウダのことを始めて知ったのは1977年頃でしょうかね。始めてF1というものを知った頃にさかのぼります。もうその時は大怪我をした後だったので、とにかくすごいドライバーという感じでした。
 
当時はとにかくテレビ放送もユーチューブもあるわけでもなく、下手したら1ヶ月遅れで知るオートスポーツ誌の速報だけが唯一の便りでした。
 
だから彼がどういうドライビングをするのかは誌面からしかうかがい知れなかったのですが、とにかく緻密でスマートなドライバーだというのはわかりました。
 
当時はもう速いドライバーというよりは、上手いドライバー、頭のいいドライバーという感じでした。
 

– Il pilota Niki Lauda ingaggiato dalla Ferrari per il Campionato del Mondo Formula 1 del 1974.
– Foto ritoccata senza logo Malboro

 

ペイドライバーとしてF1に初参戦して、フェラーリに抜擢されて初めてのチャンピオン。そして2年連続チャンピオン街道爆進中にニュルでの大事故。たらればはありませんが、事故さえなければ2年連続チャンピオンは間違いなかったですし、その翌年も王者になっていることを考えると3連覇も実現可能だったと思います。
 
大事故で瀕死の状態からわずか6週間後のイタリアGPで復帰。
ラウダはもうダメだと思ったフェラーリはロイテマンと契約済で3台エントリーとなるも、そのレースで4位入賞。ロイテマンより上位でフィニッシュなんて常識的に考えてあり得ません。
 
彼は事故から時間が経つほど、ドライブするのが怖くなるから、早く復帰した方がいいと考えたと述べています。
 

– Il vincitore Niki Lauda sul podio con i Principi di Monaco.

雨の富士でタイトルを失うものも、翌年よりクレバーになったラウダは2回目のタイトル獲得。そして白紙の小切手を提示されながらフェラーリを去りブラバムに移籍して、そしてカナダGPの予選を前にして引退を表明。この頃から自分自身に嘘をつかない彼の性格が表れていますね。普通、レース終わってから引退しますよね。この後、彼の跡を継いだピケがチャンピオンへ成長したこともいい思い出ですね。
 
1度目の引退。そしてラウダエアを創立して、F1へカムバック。ラウダがマクラーレンからF1復帰の記事を見たときの興奮をいまだに覚えています。開幕4戦までに活躍できなければ、チームが契約を解除できるオプションを持っていましたが、その3戦目に優勝。これもラウダらしいですね。
 
マクラーレンをトップチームにし、わずか0.5ポイント差で3回目のチャンピオン獲得。この時もすごかったですね。のちのマルチチャンピオン、当時は若手バリバリのプロストに対して、速さで勝てない彼は着実に入賞を重ねて、まるで計算機で計算したようにわずか0.5ポイント差で王座につき、翌年2度目で最後の引退をします。
 
引退後は2度目の航空会社を設立。その後はジャガーやフェラーリのメンバーとして、最後はメルセデスの役員を務めていたことは有名です。
 
 
また彼は自分の火傷跡を隠すために被っていた、ベースボールキャップにスポンサーを載せていたことでも有名です。彼ほどの人であれば、そんなことする必要ないのにです。
 
彼はマクラーレンから復帰する際に、高額な契約をしたことでも有名ですが、その時の言葉もまたふるってます。この金額のうち1ドルはドライバーとしての価値で残りの金額はニキ・ラウダとしての価値だといい、高額な契約を躊躇するロンデニスを説得したと言います。
 
自分の価値をわかっていたんですね、
 
でも彼のすごいところは、チャンピオンに三回なったことでも、航空会社を成功させたことでもないと思ってます。(すごいことなんですけどね)
 
彼の本当にすごいところは、それまでのF1のあり方を変えてしまったんです。ラウダ以前はマシンを開発して速くしようなんて考えるドライバーはほとんどいませんでした。
 
マシンを速くするのは、チームやエンジニアの仕事。それに乗って速く走るのがドライバーの仕事でした。
 
映画ラッシュでも描写されていた通り、彼はマシンを開発することにより、マシンを速くする方法で約10年、チャンピオンになれなかったフェラーリを頂点に連れ戻しました。
 
彼以降、F1は開発してマシンのポテンシャルを引き出そうという潮流ができて、その後一時はどのチームもテスト専門部隊を持っていたのはご存知だと思います。
 
そんなニキラウダが5月に亡くなりました。メルセデスのピットでトト・ウルフとテレビに映っていた彼の姿を見ることはもうありません。
 
確かにセナもプロストもシューマッハーもアロンソもハミルトンもベッテルもすごい。
成績だけを見れば、彼より上のドライバーはたくさんいます。
しかし彼はF1ドライバー以上の存在でした。
誰にも影響されないニキ・ラウダの存在そのものが、現代のF1に賭けているものだと感じます。
 
でも私にとって、ニキラウダは永遠のベストドライバーであり続けるでしょう。
それは彼がニキ・ラウダだからです。
 
 
DANKE NIKI !