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フェラーリ その真実 エンツォ・フェラーリの情熱

みなさんは、フェラーリといえば何を思う浮かべるだろう。伝統、イタリアン・レッド、エンツォ・フェラーリ。思い浮かべる印象は、人それぞれに違うと思う。 フェラーリといえば、強豪というイメージも強いが、データを見ると、実はそれほどでもない。彼らは合計15回ドライバーズ・チャンピオンを獲得しているが、その内容はかなり偏りがある。大きな技術的革新の見られた70年代から90年代を通じて、彼らがドライバーズ・チャンピオンを獲得したのはたったの三回(ニキ・ラウダ2回、J・シェクター1回)。 2000年から5年連続でミハエル・シューマッハーがチャンピオンを獲得しているが、これはミハエルの個人技の側面が強く、エンジニアリング面では外人部隊の影響が強い。残りの六回は50年代と60年代に獲得したものだ。これで合計14回。 最後の一個は、言わなくてもわかるだろう。2008年のライコネンである。つまり、最近までフェラーリとは昔の名前で出ているメーカーであったとも言えるのである。 エンツォ・フェラーリは我々日本人がステレオタイプに思い浮かべるイタリア人からは程遠い。軍隊式の組織を率い、勝利のみを追及した。自分に楯突く者には容赦がなかった。彼らは、フェラーリの窓際である市販車部門に飛ばされ、ある者はフェラーリを飛び出し、他のメーカーやチームに移っていった。 市販車部門が窓際とは違和感のある読者の方もいるだろう。だが、それは事実である。元々、フェラーリは純粋なレーシング・チームであった。彼らが勝利を重ねるようになると、旧型のマシンを求める人々が現れた。フェラーリは、彼らに最低限の保安部品をつけたマシンを販売していたが、そのうち顧客からは豪華装備を求める声が上がってきた。 レースに勝つことしか興味のなかったエンツォは、そんな顧客の声に煩わされたくなくて、市販車部門を作り、レーシング・チームとは完全な別組織とした。エンツォは、市販車部門にはほとんど興味を示さなかった。彼にとって、レースこそ命であり、勝利こそ人生であった。 市販車はレース資金を稼ぐ手段に過ぎず、そのリソースの全てはレース活動へと注ぎ込まれた。つまりフェラーリにとって市販車とは、片手間にやるビジネス以上のものではなかったのである。その証拠に彼は、市販車部門の経営がうまくいかなくなると、あっさりと経営権をフィアットに譲っている。 だが、それと引き換えに彼はレーシング部門には、誰にも口出しを許さなかった。一方、彼に好まれた者にとっても、フェラーリは極楽とはいかなかった。エンジン重視で、シャシーを軽視するフェラーリは79年にチャンピオン排出後、21年間ドライバーズ・タイトルから遠ざかることになる。 また、彼はドライバーを軽視することでも有名だった。要するにフェラーリに乗れば勝てるのだから、ドライバーは誰でもいいという感覚があった。だから、フェラーリはドライバー名の表示をマシンにした最後のチームであった。たが、そのやり方には副作用も大きかった。 70年代以降、テクノロジーが急速に進化し始めると、柔軟性に欠けるフェラーリは新しい技術の採用が遅れることも多く、英国系のコンストラクターの後塵を浴びることが多くなる。私の記憶が正しければ、彼らが最新のテクノロジーを最初に採用したのは、ウィングを最初に搭載した312と、セミ・オートマチックのギア・ボックスを搭載した640くらいしか思い浮かばない。ただ、後者はフェラーリがというよりも、ジョン・バーナードが採用したと言った方が適切だろう。自慢のエンジンにしても70年代を通じて使い続けた水平対抗12気筒エンジンも、巷で言われているほど、馬力があるわけでもなかった。 だが、それでも頑なにエンツォは、自社の優位性を信じ続けた。そんなエンツォも晩年は、丸くなったのかジョン・バーナードを起用したり柔軟なところを見せたが、フェラーリがF1の頂点に返り咲くのは、その死後12年を待たなければならなかった。 エンツォの死後、ロードカーとしてのフェラーリは劇的に良くなった。顧客の声を聞き、それを商品に生かしていった。その結果、パワステ、エアコンが装備され、ゴフルバッグの積めるフェラーリが誕生した。それが良かったか、どうかはまた別の問題ではあるが。 レーシング・チームとしてのフェラーリもその死後、多くの外国人を登用し、皇帝ミハエル・シューマッハーの登場によりフェラーリは、再びトップへと返り咲いた。このように見ると、フェラーリはその大半を、非効率で、非合理的な運営をなされてきた名門チームという考えも、完全に間違っているとは言えない。 だが、フェラーリは勝とうと、勝つまいとF1の象徴である。そして、エンツォほどF1に執念を見せた者がいないことも、確かである。その執念があったからこそ、フェラーリはF1創生期から参加し続ける唯一の存在であり続け、伝説となった。 フェラーリよりお金持ちのチームも、技術のあるチームも、効率よく活動するチームも、多く存在した。だが、その多くは今、存在しない。そう考えると、フェラーリとは単なるレーシングチームではなく、エンツォの情熱や執念が形になったものであると言える。だからこそ、フェラーリは特別であり、今後も他のチームとは違う存在で有り続けるのだ。

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