通常、モンツァでのイタリアGPほど予想のしやすいレースはありません。コースはシンプルで実質コーナーが6つしかないことを考えれば、ドライバーができることは限られています。なので同じチームのマシンが二台ずつグリッドに並ぶことも珍しくはありません。そしてこの日のレースも18周目まではそうでした。メルセデスのハミルトンが独走し、他のクラスのマシンを引き離し余裕の勝利の様相で、同じメルセデスのボッタスが苦しんでいるのを除けば、まったく予想通りでした。ところがあの18周目からレースの状況は一変しました。それでは恐らく今年一番エキサイティングになるであろうイタリアGPを振り返って見ましょう。
▽ガスリーに味方した三つの幸運
ガスリーの初優勝にはいくつかの幸運が味方したことは間違いありません。最初の幸運は、ボッタスがスタートで出遅れたことです。ボッタスはハンガリーGP同様、反応が速すぎてフライングになることを恐れてアクセルを踏むのが一瞬遅れてしまいました。その為、サインツに抜かれ、その後のバトルでノリスやペレスにも先に行かれます。この時ボッタスはマクラーレンのマシンと接触してパーツのいくつかを飛ばしていて、ボッタスはタイヤがパンクしたのではないかと感じるほどグリップを失うことになりました。
さらに悪いことに中団の集団で走る中で、クーリングも厳しくなり、かなりの距離をリフトアンドコースト、つまり早めにアクセルを戻さなければならなくなり、まったくペースが上がずにボッタスは優勝戦線から脱落しました。
そして18周目にセーフティカーが登場し、レースは大きく動きます。この時、マグヌッセンがピットエントリー近くにマシンを止めました。それを安全に移動するためにセーフティカーが登場します。これが二番目の幸運です。この時、ピットレーン入口の道路を使ってマグヌッセンのマシンを動かすために、ピットレーン入口は閉鎖されました。ただピットレーン入口が物理的に閉鎖されていたわけでもありませんし、入口に赤信号があったわけでもありません。
この時、ハミルトンは最終コーナーであるパラボリカの200メートル手前にいました。考える時間がないためチームはすぐにタイヤ交換を指示します。すでにワンストップのタイヤ交換ウィンドウ内に入っていたからです。最終コーナー左側のマーシャルが「×」マークを表示してピットレーン入口の閉鎖を伝えていたのですが、ハミルトンはダッシュボード上に表示される走るべきペースの指示を見ていて、これを見逃してしまいます。またパラボリカは右の高速コーナーですので、通常ドライバーは右側を見て走るので、左側のマークを見逃す一因になりました。
チーム側はモニターでこの指示を確認することは可能でしたが、ほんの数秒でハミルトンが現場を通過しタイヤ交換するわけですから、それを見る余裕はありませんでした。実際はイギリスの本部にいるエンジニアが気付いて知らせたのですが、あまりもハミルトンが最終コーナー近くにいたので、間に合いませんでした。そしてそのままタイヤ交換に入れてしまい、10秒ストップのドライブスルーペナルティを受けてしまいます。これはかなり重い処分です。
ただこのペナルティの指示はすぐにはでませんでした。実際は同じようにタイヤ交換したジョビナッツィにはすぐに出たのですが、ハミルトンへの提示は遅くなりました。おそらくマーシャルから「×」マークが表示されるタイミングがハミルトンが通過する時に間に合っていたのかどうか確認していたのでしょう。ハミルトンにペナルティを出すとなるとレースの結果に大きな影響があるのもペナルティの決定が遅れた原因のひとつと考えられます。
ただこれもハミルトンには不利に働きました。この後ルクレールのクラッシュで赤旗中団になるのですが、ペナルティの指示が遅かったのでハミルトンは再スタート後にペナルティの消化をしなければならなくなりました。再スタート後にペナルティを消化したハミルトンは最後尾まで後退しました。もしハミルトンがレース中にペナルティを消化していれば、最後尾まで落ちることはなかったでしょう。そうすればもっと上位でレースを終えていたと思います。
このピットレーン入口の閉鎖でガスリーはもうひとつの幸運を得ました。彼はこのセーフティカー登場の前にタイヤ交換をすませていました。通常、セーフティカー中にタイヤ交換した方が10秒ほど有利になります。他のマシンがゆっくり走っているからです。だからセーフティカー前にタイヤ交換すると、セーフティカー中にタイヤ交換するドライバーに抜かれるのが普通です。実際、ガスリーはこのセーフティカー直前にタイヤ交換しており、最悪のタイミングでタイヤ交換してしまったと感じていました。
ところがピットレーン入口が閉鎖されている間に、マシン間の距離が縮まったので、ピットレーンがオープンになって上位陣がタイヤ交換に入ったタイミングで、先にタイヤ交換していたドライバーは上位に進出することができました。セーフティカー明けの順位は先にタイヤ交換していたハミルトンが1位で、2位はタイヤ交換しなかったストロール、3位がガスリーでした。しかもガスリーの後ろにアルファロメオの二台とウィリアムズのラティフィがいて壁になっていました。
またその後、赤旗中団になったことにより、タイヤ交換が可能になり、先にタイヤ交換したデメリットも解消できました。しかも後ろから追いかけるサインツにとって最悪なことに前にいるアルファロメオの二台はソフトタイヤを履いていました(赤旗中団時にアルファロメオは新品タイヤがソフトしか残っていませんでしたが、新品のソフトタイヤで残り27周も走るなら中古のハードタイヤで走った方が良かったと思うのは私だけでしょうか)。ご存じのようにソフトタイヤは最初は速いのですが、すぐにラップタイムが落ちてきます。つまりサインツは最初だけ速いライコネンをコース上でパスしなければならなくなったのです。
▽ガスリーが実力を見せてつけた後半
赤旗中断後は、再度フォーメーションラップをして、スタンディングスタートをするわけですが、この時2位のストロールがスタートをミスして遅れます。そして1周後にハミルトンがペナルティを消化すると、トップにはガスリーがいました。ただこれで楽に初優勝できたわけでは、もちろんありません。残りの周回数は26周もありました。
サインツが壁になっていたライコネンやストロールを抜いて2位なったが34周目。残りは19周。サインツが2位になるまで8周を費やしてました。さらに新品のミディアムを履くガスリーに対して、中古のミディアムを履くサインツ。この時点でタイヤの状態はガスリー有利でした。この時点で二人の差は約4秒。ただその後はサインツが0.3秒速くて、サインツが追いつくのは時間の問題と思われました。そして実際に1秒と少しの距離までは近づけました。ところがそこから1秒以内にはなかなか入れません。
サインツはこの週末、ダーティエアの中を走るとマシンが安定しませんでした。1.5秒以内に近づくとサインツのマシンは不安定になり、スリップに入れなくなったのです。最終ラップにはDRS圏内に入れたのですが、ガスリーに挑戦することはできませんでした。
だからといって、もちろんガスリーが楽になったわけではありません。ガスリーは最後の力を振り絞って、サインツをDRS圏内に近づけません。ガスリーは、ほんの少しのミスをしただけでもサインツに抜かれてしまいます。最後の数周はサインツにもチャンスがありました。ただガスリーにとって幸いだったのは、最高速はマクラーレンに負けていましたが、マシンのトラクションは抜群でした。これによりガスリーはコーナーの立ち上がりでサインツに差をつけることができ、直線でオーバーテイクの脅威にさらされることはありませんでした。ガスリーはコーナーの多い第2セクターでサインツより速かったので、アルファタウリのダウンフォースを少しつけるセッティングは大成功でした。
普通考えれば、直線部分の多いモンツァはダウンフォースを減らした方がいいと思われるのですが、F1のセッティングはなにごともそのバランスが重要なのです。
▽幸運だけではF1は勝てない
確かにガスリーの初優勝には上記の幸運が味方したことは間違いありません。なにもなければ彼は表彰台に登るのも難しかったでしょう。ただ幸運があったからといって、誰もが優勝できるわけではありません。実際、赤旗中断後の再スタートの時はガスリーは3位で、前には2位のストロールがいました。彼はセーフティカー時にはタイヤ交換しなかったので、赤旗中団になりフリーでタイヤ交換できる幸運を得ました。彼が勝っていてもおかしくはなかったでしょう。
初優勝を争うガスリーとサインツの場合、精神的には圧倒的にサインツが有利です。サインツは少しミスしてもまた追いついて再びアタックできますが、ガスリーが少しでもミスをすれば、たちまち2位に落ちてその後追いつくのは難しかったでしょう。マシンのペースはマクラーレンの方が速かったですから。
特にモンツァは極限までダウンフォースを削っていますから、マシンコントロールをするのはとても難しいサーキットです。確かにコーナーは実質6カ所しかありませんが、そのどれもがその後の直線部分につながっており、ほんの少しのミスがオーバーテイクを誘発します。
またダウンフォースが少ない中でのブレーキングも難しくなります。特にガスリーの場合、ブレーキを遅くしてオーバーランもできないし、かといって早くブレーキングしてタイムを失うわけにもいきません。どちらにせよサインツに抜かれてしまうでしょう。そういった状況で常に適切なブレーキングをするのは、精神的にかなりタフな状況です。それをガスリーは完璧に成し遂げてしまいました。これは誰にでもできることではありません。
実際、過去にはグロージャンもペレスも勝つチャンスはありましたが、彼らはそのチャンスを活かすことができませんでした。そこが勝てるドライバーとそうでないドライバーとの差なのです。
それにしても若き日のベッテルが雨のモンツァで当時のトロロッソに初優勝をもたらした12年後、同じモンツァで名前を変えた同じチーム アルファタウリのガスリーが劇的な初優勝を達成するとは、ほんとドラマですよね。
ちなみにフランス人ドライバーの優勝は1996年のモナコGPでオリビエ・パニス以来24年ぶりです。そしてその時のエンジンは無限ホンダでしたね。この名前を聞くと感無量ですね。
1年前、ガスリーは親友を亡くし、やっと手に入れたレッドブルのシートを失うというどん底の状態にいました。もうガスリーは終わったと考える人もいたでしょう。今シーズンはコロナウィルス大流行の影響で開幕が遅れたり、メルセデスがあまりにも強かったりして、お世辞にもとてもエキサイティングなシーズンとは言えませんでした。そんな中でもこのガスリーの初優勝というおとぎ話が実現したことは、すべてのF1ファンにひとときの幸福感をもたらしたことでしょう。
サインツファンの皆さんは、がっかりしているかもしれませんが、彼はフェラーリに行きそこで初優勝することが可能でしょうから、来年以降にその楽しみを取っておきましょう。