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微細な震動、しかし地殻変動の予兆か? スペインGPで垣間見たF1フレキシブル・ウィング規制の真実

F1スペインGP、バルセロナのカタロニア・サーキットに導入されたフロントウィングのフレキシブル規制強化は、多くの人々の予想を裏切る結果となった。期待されたような劇的な勢力図の変化は起こらず、マクラーレンが週末を通して支配的な強さを見せつけ、1-2フィニッシュを飾った。メルセデスのテクニカルディレクター、ジェームズ・アリソンが「宇宙人が遠くからこのレースを観ていたとしても、スペインで技術指令が出されたことには気づかなかっただろうね」と語ったように、一見するとこの規制は「空振り」に終わったかに見える。

しかし、別の視点から見れば、この「空振り」こそが、F1という極めて緻密な競技におけるルール変更の真の性質を物語っている。目に見える大変化がなかったからといって、その影響が皆無であると結論づけるのは早計だ。むしろ、今回の規制は、水面に広がる微細な波紋のように、今後のF1の潮流を静かに、しかし確実に変えていく可能性を秘めている。

「微小な変化」が持つ意味

マクラーレンのチーム代表アンドレア・ステラが指摘するように、新たな剛性規定によって「競争力の序列に劇的な変化は起きていないものの、マシンの特性は変わってきている」という事実は極めて重要だ。フレキシブルウィングが低速コーナーでのアンダーステア対策や高速コーナーでのオーバーステア対策に貢献していた効果が失われたことで、各チームは空力バランスの最適解を見直す必要に迫られている。ステラの説明する「高速では若干フロントが鋭くなり、低速ではややアンダーステアが出やすくなる」という変化は、ラップタイムに直結する微細なものでありながら、ドライバーの感覚とセットアップの方向性を大きく左右する。

マクラーレンがこの影響を最小限に抑えられているのは、今季サスペンションのダイナミクスで大きな進歩を遂げ、元々バランスの取れたマシンを持つからだろう。しかし、アリソンが語るように「ウィングが硬くなるということは、その他すべてが同じなら、高速コーナーに曲がる際にマシンが神経質になりやすくなる」という変化は、確実に全チームに影響を及ぼしている。セットアップで補える範囲はあれど、決して理想的な空力特性ではなくなっているのだ。

準備期間がもたらした「抑制された」変化

今回の規制強化が何ヶ月も前から告知されていたという点も、スペインGPでの劇的な変化が起こらなかった一因として見過ごせない。レッドブルのクリスチャン・ホーナーが言うように、「各チームにはこの変更を理解する時間が十分にあった」のだ。これにより、各チームはサスペンションやディファレンシャル設定といった他の要素でバランスを調整し、フレキシブルウィングが失った機能を補うための策を講じてきた。結果として、スペインでのパフォーマンスは、このルール変更によって「若干キャラクターが変わった程度で、大きなものではなかった」とホーナーは結論づけている。

しかし、これはあくまで「適応する時間があった」ことによる結果であり、もし突然のルール変更であったならば、その影響はより顕著に現れた可能性は十分に考えられる。F1チームのエンジニアリング能力の高さが、今回の「衝撃」を吸収したと言えるだろう。

今後のサーキット特性が問う「真価」

今回の規制の影響がより明確になるのは、今後のレース、特に高速と低速のターンのバランスを大きく求められるサーキットに向かうにつれて、だろう。スペインが比較的高速コーナーと中速コーナーがバランスよく配置されたサーキットであったのに対し、モントリオールのような低速・中速コーナー主体で縁石の攻略が鍵となるサーキット、レッドブルリンクのような幅広い速度域が求められるサーキット、そしてシルバーストンのような超高速サーキットでは、フレキシブルウィングが補っていた領域の重要性がさらに増す。

もし、各チームが抱える「高速でのフロントの鋭さ」や「低速でのアンダーステア傾向」といった微妙な特性変化を十分にカバーできない場合、そのサーキットでのパフォーマンスに少なからず影響が出てくるはずだ。特に、路面やタイヤの特性、気温など、様々な要素が複雑に絡み合う中で、この微細な空力特性の変化が、ラップタイムにどのような差を生み出すかは、今後のレースでしか見えてこない。

隠れた序列変動の可能性と、0.1秒の重み

今回のスペインGPで、競争力の序列が実は変わっていたのではないかという見方も存在する。フェラーリのフレデリック・バスールが指摘するように、「パフォーマンス差が0.1秒変わるだけでも、順位には大きく影響する」のがF1の現実だ。マクラーレンが支配的であったのは事実だが、暑いコンディションが彼らのマシンに有利に働いた可能性や、レッドブルのマックス・フェルスタッペンが3ストップ戦略でマクラーレンを追い詰めたペースなど、見方によっては均衡していた部分も存在する。

バスールは、フェラーリがマクラーレンに一時的に5秒差まで迫ったことに触れ、「3〜4戦前、マイアミで周回遅れにされた頃よりずっと良いペースだ。これがフロントウィングの影響かどうかは分からないけど……」と語っている。これは、フロントウィングの規制が、トップ争いに直接的な影響を与えずとも、中団グループの順位を動かす要因となっている可能性を示唆している。ザウバーやアルピーヌといった中団チームのパフォーマンスの変動も、フレキシブルウィングの規制とは直接関係がないと見られがちだが、空力バランスの微妙な変化が、各チームのパッケージに異なる影響を与えている可能性は否定できない。

カナダGPが試金石となるか

現時点では、スペインGPでのフレキシブルウィング規制の影響に関する結論は出ていない。しかし、今後のモントリオールでのカナダGPは、このルール変更の本当の影響がより明確になるはずだ。低速コーナーが連続し、縁石の使い方が問われるモントリオールで、各チームがどのようなセットアップを見つけ、どのようなパフォーマンスを見せるのか。そこで初めて、この「微細な震動」が、F1の勢力図に「地殻変動」をもたらす予兆であったのかどうかが明らかになるだろう。

F1は常に進化し、ルール変更と技術開発のサイクルの中でパフォーマンスが拮抗する。今回のフレキシブルウィング規制は、その極限の戦いにおける、もう一つの重要なピースとなることは間違いない。この「静かなる変化」の行方を、これからも注視し続けていきたい。