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撤退の代償——ホンダはなぜ、自ら墓穴を掘ったのか

「空白の3年間」が招いた組織崩壊。メルボルンで露わになったのは、エンジンの不具合だけではなかった。かつてレッドブルを王者に導いたパワーユニットメーカーが、今や最後尾に沈んでいる。その根因は、技術ではなく、意思決定の構造そのものにある。

勝者の論理が生んだ盲点

2021年末、ホンダがF1からの撤退を発表したとき、多くの関係者は驚きとともに一定の「理解」も示した。カーボンニュートラルへの社会的要請は現実であり、企業としての方向転換は説明がついた。しかし今振り返れば、その決断の中に、ホンダという組織が長年抱えてきた構造的な問題が凝縮されていた。

その時、ホンダは「撤退する」と言い、成功したチームを解散させていた。レッドブルとの契約が2025年まで続くため、エンジン供給そのものは継続されていたが、この期間はホモロゲーション凍結が行われていたため、必要だったのは最低限の開発とメンテナンス作業だけだった。そのためホンダF1の中核を担ってきたエンジニアたちーー山本雅史、田辺豊治、浅木泰昭——2010年代後半のホンダF1復帰を牽引した「顔」たちは、次々と別の役割へと去っていった。そして残されたのは、最小限のエンジニアとメカニックたちだった。

問題は、その後に再招集されたメンバーの多くが、F1という競技の特殊性を体で知らない人材だったことだ。ニューウェイが「彼らが再編成したとき、元のグループの多くは――今になって分かったことだが――すでに解散していて、太陽光パネルの仕事か何かに行っていた」と皮肉まじりに語ったのは、単なる毒舌ではない。ホンダF1が解散した際に起きた「人材の拡散」を、外部から鋭く言語化した言葉だった。

バジェットキャップという残酷な平等

2023年にホンダがアストンマーティンとの新たなパートナーシップに合意したとき、状況はさらに複雑な状況になっていた。

2026年の新規則に向けた開発競争はすでに始まっていた。メルセデス、フェラーリ、ルノー(アルピーヌ)、そして新規参入のアウディ——各社はバジェットキャップが導入される前の「助走期間」に、湯水のように資金を注ぎ込んでいた。その時期、ホンダは何をしていたか。規模を縮小したまま、2026年規則の議論に「関心を持ちながらも強くコミットしない」という曖昧な立ち位置にいた。

ニューウェイが指摘した通り、ホンダは元のチームの約30パーセントの人員で再参入した。そしてその時点で、バジェットキャップという「公平な制約」が機能し始めていた。

バジェットキャップは弱者を守るルールではない。すでに開発を完了した強者を守るルールでもある。先行投資を終えたチームには追加費用がかからず、遅れたチームには「取り戻すための予算」すら制限される。ホンダはこの非情な仕組みを、自らの判断で最も不利なタイミングで体験することになった。

なぜ「11月まで気づかなかったのか」という不可解

この一連の経緯で最も理解しがたいのは、アストンマーティンがホンダの実態を把握したのが2025年11月だったという事実だ。

契約締結は2023年5月。それ以前から交渉は続いていたはずだ。ホンダのF1体制が縮小されていることは、専門メディアが2023年から繰り返し報じていた公知の事実だった。企業間の大型契約においてデューデリジェンス(詳細な事前調査)が行われるのは常識であり、ましてや2026年の新規則に向けた技術パートナーシップなら、相手の開発体制を精査しないはずがない。

では、なぜ気づかなかったのか。

いくつかの仮説が成り立つ。ひとつは「ホンダブランドへの過信」だ。レッドブルとともに4連覇を達成したホンダを、アストンマーティンは「勝てるエンジンメーカー」として迎えた。その実績がある種のバイアスを生み、組織の実態より「名前の力」を信じてしまったのではないか。

もうひとつは「ホンダ側の情報開示の問題」だ。急速に縮小した体制の現実を、新しいパートナーに対して正確に伝えることは、交渉上の不利を招く。ホンダ経営陣が「何とかなる」という楽観論のもと、詳細の共有を先送りにした可能性は否定できない。2025年3月、渡辺康治社長が「撤退によってそこまで大きなものを失ったとは思っていない」と発言していたことは、その楽観論の証左かもしれない。

そしてもうひとつ——これが最も根が深いかもしれないが——「組織の自己認識の欠如」だ。縮小・再編したホンダ自身が、自分たちの体制がどれほど劣化しているかを正確に把握できていなかった可能性がある。F1という競技で何が「当たり前」で、何が「致命的な不足」なのかを測る基準そのものが、組織から失われていたとしたら。それは技術的な問題ではなく、組織の記憶の喪失だ。

歴史は繰り返す——ホンダF1の宿痾

実はホンダがF1で「組織の連続性」を断ち切り、後悔するパターンは今回が初めてではない。

1992年の撤退、2008年の撤退、そして2021年の撤退。ホンダはF1への「参入と離脱」を繰り返すたびに、蓄積されたノウハウと人材を散逸させてきた。マクラーレンとの黄金時代を築いたエンジニアたちが消え、バトンとともに世界タイトルを狙ったチームが「ブラウンGP」として身売りされ、そしてフェルスタッペンの連覇を支えた技術者たちが「太陽光パネルの仕事」へと向かった。

「撤退」は企業の選択だ。しかし撤退のたびに人材と記憶を失い、復帰のたびにゼロから積み上げるというサイクルは、ホンダの経営判断の問題であると同時に、F1という競技に「会社として関わる覚悟」の問題でもある。

それでも、前を向くしかない

メルボルンのピットレーンで、ニューウェイの言葉は静かに怒気を帯びていた。しかし彼もまた、この状況を選んでアストンマーティンに来た当事者だ。

ホンダの苦戦は、2026年の1年だけでは終わらないかもしれない。バジェットキャップの制約の中で経験不足を補い、チームを機能させながら開発を積み上げていく道は、想像以上に険しい。

だが同時に、ホンダが本気で取り組み、組織を再建し、学習曲線を登り切ったとき——過去にも見せてきたように——その技術的跳躍は突然やってくることがある。

問題は「それがいつか」だ。アストンマーティンにとっても、ニューウェイにとっても、残された時間は無限ではない。

撤退の代償は、今まさに、メルボルンのアスファルトの上で刻まれている。