ハミルトンはなぜ最後にソフトを履かず、ロズベルグは敗れたのか? タイヤ戦略から見たハンガリーGP Part2
ウェットコンディションで予想が難しく、金曜日よりもはるかに気温が低くタイヤのライフが未知数のために、メルセデスはロズベルグを3ストップ、ハミルトンを2ストップで行く計画であった。ハミルトンはピットレーンスタートで、抜きにくいハンガロリンクで上位に行くには、タイヤ交換の数を減らす必要があった。ロズベルグはポールからスタートして、リードを広げれば3ストップでも勝てる可能性が高いとチームは考えていた。
だがこの作戦は崩れた。まず最初のセーフティーカー登場直後にロズベルグがピットに戻れず、まるまる1周遅い走行を強いられて、順位を落とした。さらにレース中盤で新しいソフトタイヤを履いたロズベルグが、遅いミディアムタイヤを履いたハミルトンの後ろで、ペースを抑えられたこともロズベルグの作戦を難しくした。
チームからはハミルトンにロズベルグを先に行かせるように指示がでたが、当然ハミルトンはロズベルグを先に行かせるわけがない。そんなことをすれば、ロズベルグはハミルトンよりも上位でフィニッシュする可能性があるからである。
ハミルトンは16周にわたってロズベルグの前を走り続けた。これによりロズベルグは少なく見積もっても10秒は失っただろう。だからロズベルグはここでハミルトンに仕掛けなければならなかったが、彼はできなかった。ここで勝負のポイントだった。もしロズベルグがハミルトンを早々に抜いていれば、逆転優勝の可能性はあった。
しかもロズベルグはハミルトンに抑えられる前に、ベルニュにも前を抑えられていた。最初タイヤ交換で順位を落としたロズベルグだったが、それでも4位でレースに復帰していた。ところがブレーキが不調になったロズベルグはベルニュに抜かれた。すぐにでも抜き返したいロズベルグだったが、トップスピードの高いベルニュを抜くのは難しく、結果的にロズベルグは17周も抑え込まれた。ここでも10秒以上を失った。
つまりこの2台に抑えなければロズベルグは勝てたわけだが、ここはハンガロリンクであり、追い抜きが難しいことは最初からわかっていた。このサーキットではラップタイムではなく、ポジションを優先した作戦を立てなければならない。ここがこのレースでのアロンソとロズベルグの大きな違いで、結果にもそれが表れることになった。
ハミルトンは約1秒遅いミディアムを履いたことでペースが上がらなかった。これもロズベルグにとってはレースを難しくした。ではハミルトンが最後のタイヤ交換でソフトタイヤを履いていたら結果は変わったのだろうか?遅いミディアムを履くハミルトンは、ソフトを履くアロンソに追いついても抜くことができなかった。同じソフトタイヤなら性能で勝るメルセデスの方が有利である。
だがハミルトンの方も違う事情で最後にソフトタイヤを履くのは難しかった。もし最後にソフトを履いてレース終わりまでタイヤがもたなければ、ハミルトンはロズベルグの後ろになる可能性あった。もちろんもう一回タイヤ交換すれば、ロズベルグの方が前に行く。これはハミルトン陣営からすると許されざる結果である。つまりハミルトンはアロンソではなく、ロズベルグと戦っていた。例え優勝できなくてもハミルトンはロズベルグとのポイント差を縮めることが最優先である。
ハミルトンはミディアムタイヤを履いていたがレース終盤にはタイヤの寿命がなくなり、ピットに対して「タイヤが終わっている」と伝えている。これは前をアロンソに押さえられていたことも大きな理由の一つである。そういう意味でもアロンソが2回目のタイヤ交換でトップに立つことを優先したことは、正しい判断だった。そしてハミルトンがもし39周目にソフトタイヤを履いていたら、間違いなくもう1回タイヤ交換をする必要があり、結果としてロズベルグの後ろになったと予想される。
リカルドは54周目までトップを走り、ソフトにタイヤ交換し、3位で復帰。ここから怒濤の追い上げで優勝したのだが、彼はもっとも状態のいいソフトタイヤを履いていたのは間違いないが、それでも抜きにくいハンガロリンクでアロンソとハミルトンの2台を抜くのは簡単ではない。
リカルドの優勝にレース作戦が大きく貢献しているのは間違いないが、それでもリカルドが優勝できたのは、彼がハミルトンをアウトから、アロンソをインから抜いたからである。ここが4位のロズベルグとの差であった。
F1において作戦は結果に大きな影響を及ぼすのは間違いがない。だがこのレースはその作戦をも超越したドライバー達の能力が際立ったという面で、歴史に残る名レースとして多くの人の記憶に残るであろう。
- なぜアロンソはソフトで32周も走り切れたのか? タイヤ戦略から見たハンガリーGP Part1
- ピレリは19インチタイヤに注目している