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映画「RUSH」を10倍楽しくみる方法2

そして映画「RUSH」の76年。 ラウダは前年の勢いのままに最初の9レースで5勝を記録し、一度のリタイヤを除いて全て表彰台と圧倒的な力を見せて、2年連続チャンピオンが確実視された。 そして迎えた第10戦、伝説のニュルブルクリンク旧コース開催されたドイツGPでクラッシュ炎上。生死の境をさまようことになる。そしてわずか2レースを欠場しただけで復帰する。この時、ラウダは恐怖で動けなかったと告白している。 この後の話は映画を見ていただくとして、もう一人のライバルジェームス・ハントはどうだったのだろう。 ジェームス・ハントはラウダより2歳年上の1947年生まれ。73年にヘスケスからデビュー。このヘスケスはイギリス人貴族のヘスケス卿が作ったチームで73年はマーチのマシンを購入して走らせていた。当時はF1マシンを買って走らせることが普通にできた。74年から自社制作のマシンに切り替えるがこのマシンを設計したのが若き日のポスレスウェイトである。ハントはこのマシンで75年に初勝利を挙げて、その翌年エースのフィッテパルディが抜けたマクラーレンへ移籍する。 76年シーズン前半に突っ走ったラウダに比べ、ハントは後半の9戦で5勝(失格となったイギリスGPを含めると6勝)と後半怒濤の追い上げを見せてラウダを追い詰めた。 この二人性格は正反対。物静かで論理的なラウダに対して、自由奔放でヘビースモーカーであり、プレーボーイのハント(なぜライコネンが彼に惹かれるのかがよくわかる)。ところがなぜかこの二人は馬が合った。この二人が友人になるのだから不思議なものである。

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