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映画「RUSH」を10倍楽しくみる方法4

ドライバーで言うと、ラウダ以前はジャッキー・スチュワートとエマーソン・フィッティパルディが全盛期だった。 69年から75年の6年間でこの二人は5回チャンピオンになっている(スチュワートが3回、フィッティパルディが2回、残りの1回はリントである)。スチュワートが引退し、フィッテパルディは兄が設立した競争力の劣るフィッテパルディに移籍。その新しい時代の幕開けに登場したのがラウダとハントである。 ラウダはこの後、77年に再びチャンピオンになり、78年にブラバムへ移籍。このブラバムはあのバーニー・エクレストンがオーナーで、ゴードンマレーがデザイナーとして設計していた。ただこの時代のブラバムはアルファ・ロメオの大きく重い時代遅れの12気筒エンジンを搭載しており戦闘力は高くなかった。そして79年にカナダGPの予選中に突然引退する。ところがこの翌年からブラバルはコスワースDFVを搭載。ネルソン・ピケを擁して黄金期を迎える。 ラウダはこの3年後、ロン・デニスの招請によりマクラーレンからF1に復帰。復帰3戦目の西アメリカGPで優勝を遂げ、見事に復活をなしとげる。84年にはルノーから移籍してきたプロストと激しいチャンピオン争いを繰り広げ、わずか0.5ポイント差で3度目のチャンピオンになった。この年はセナのデビューイヤーでもある。ラウダは、その翌年プロストの初チャンピオンを祝いながら2度目の引退をする。

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