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適応か、苦悩か:フェラーリとハミルトンを蝕む“二重の壁”

フェラーリは現在、独立したようで実は密接に関係する二つの問題に直面している。一つは、パフォーマンスが安定しているが、決定的な一発の速さや持続的な競争力に欠けるSF-25というマシン。もう一つは、その特性を完全には引き出し切れていないスタードライバー、ルイス・ハミルトンである。

SF-25の特性とルクレールの“積極的順応”

SF-25は空力効率とメカニカルグリップのバランスに優れている反面、フロントの回頭性がやや鈍い傾向がある。このため、ルクレールはコーナー進入で早めに荷重を前に乗せ、マシンを積極的に“転がす”ようなドライビングスタイルを採用している。

彼はセットアップにおいても極端なアプローチを容認しており、たとえばフロントリバウンドダンパーの減衰力を強めに設定し、ターンインのレスポンスを高めている。これにより、エントリーでのフロントの挙動を素早く確定させ、ミッドコーナーからの加速に集中できる。しかし、このアプローチはリスクも伴い、バンプの多い市街地サーキットではオーバーステア気味になる危険性もある。

ハミルトンを苦しめる“電制ブレーキ”とPUの非線形挙動

ハミルトンの問題は、単に車に“慣れていない”という次元ではない。彼が苦戦している最大の要因は、フェラーリPU「066/15」のエンジンブレーキング特性とMGU-K(運動エネルギー回生装置)との制御ロジックの“位相ずれ”にある。

ハミルトンはメルセデスPUのブレーキ・バイ・ワイヤ(BBW)システムにおいて、エンジンブレーキングと回生制動の介入タイミングが非常にスムーズで、ドライバーがステア操作と同時に細かく調整できるよう“キャリブレーションされていた”ことに慣れていた。しかしフェラーリの設定はややラフで、たとえばリフトオフ時の減速Gが一気に立ち上がりすぎる傾向がある。

この“急激な減速立ち上がり”は、ハミルトンがブレーキングポイントを早めに設定し、なおかつブレーキを“じわり”と踏み始める自分のスタイルに対して大きなズレを生む。結果として、ターンインで車が不自然に前傾し、前輪のグリップを一瞬失いかける現象が多発する。これが彼の「アンダーステアがひどい」というフィーリングの根本にある。

特にターン4やターン12など、中速域でのオープン・コーナーではその傾向が顕著だ。これらのコーナーは、エンジンブレーキとMGU-Kの減速介入が重なりやすく、デフォルトのマッピングではコーナー中盤でリアに過剰な荷重がかかり、結果的にフロントの接地感が失われる。

エネルギーマネジメントの差がデグラデーションにも直結

もう一つ見逃せないのは、エネルギーマネジメントとタイヤデグラデーションの関係性である。ジェッダでは、ルクレールが19周にわたってラッセルの後ろを走りながらも、ミディアムタイヤを6周長く持たせた。一方ハミルトンは、空気のきれいなスペースに出ても、タイヤマネジメントの面で全くアドバンテージを得られなかった。

この差の原因の一端は、MGU-Kの回生タイミングとスロットルマッピングの不一致にある。ハミルトンはパーシャルスロットルでの車両挙動に対して非常に繊細な操作を行うが、フェラーリの回生ロジックはその“繊細さ”に応える柔軟性が不足している。結果として、リアの縦方向のスリップが増え、タイヤが過熱しやすくなる。

「筋肉の記憶」と「生理的拒否反応」

ルクレールは長く所属しているので、この特性に対して、「体が記憶で走れる」と語るが、これは単なる慣れではなく、フェラーリのPU・シャシー特性に対する“神経系の適応”が進んでいることを意味する。ハミルトンにはそれがまだない。いや、むしろ逆に、メルセデスの“理想的制御”に染まった神経系が、今のフェラーリの挙動を拒絶しているといってもいい。

適応か、アップデートか、それとも…

SF-25の特性を前提にしてパフォーマンスを最適化しようとするルクレールと、システムそのものの“再調整”を必要としているハミルトン。二人のアプローチの違いは、単なる「熟練度」の差ではない。フェラーリというチームの“技術哲学”が、いま明確に問われている。

PUは2026年まで凍結されており、ドライバー側の適応に頼らざるを得ない今。もしフェラーリがハミルトンの“感性”に合わせた制御ソフトウェアやBBWのキャリブレーションを調整できなければ、今季の残り19戦は、彼にとって技術と感覚の“ギャップ”との格闘が続くことになるだろう。

そして、それはフェラーリにとってもまた、“本当の意味でハミルトンを獲得したか否か”を問われる時間になる。