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【技術解説】マクラーレンの“仮想ステア軸”とトー変化機構が支えるタイヤ温度マネジメントの革新

2024年のF1において、マクラーレンは明らかにタイヤマネジメント能力で頭ひとつ抜けた存在となっている。その理由として空力やパワーユニットとの協調はもちろんだが、見逃せないのがフロントサスペンション構造の独自性である。

最近になってMCL39のフロントアップライトの詳細が明らかになったことで、我々はようやくこのタイヤ制御のカラクリに迫ることができるようになった。本稿では、マクラーレンが採用する“マルチリンク式”サスペンションの構造と、その構造がもたらすトー変化(バリアブル・トー)による温度制御メカニズムにフォーカスする。

構造の核心:「固定ステア軸を持たない」ロアアーム設計

従来のF1マシンでは、V字型に配置されたロアウィッシュボーンを用いて、ステアリング操作時のキングピン軸(仮想ステアリング軸)を明確に定義している。しかしマクラーレンはこれを利用せず、2本の独立したロアアームを用いて仮想的なキングピン軸を構築している。

この構成は、メカニカルには「マルチリンク式サスペンション」と分類できる。明確なステア軸を持たないこの形式では、バンプストロークやステア入力に伴ってトー角やキャンバー角などのジオメトリが動的に変化する。

その動的ジオメトリ制御こそが、マクラーレンのタイヤマネジメントの要である。

トー角変化とレギュレーションのグレーゾーン

2020年にメルセデスが投入したDAS(Dual Axis Steering)を覚えている読者も多いだろう。これはステアリングコラムを前後に動かすことで走行中にトー角を変化させるシステムだったが、2021年を前に禁止された。

また、2010年代中盤には一部のチームが可動式ラックやリンクロッドによる“合法ギリギリ”の可変トーシステムを試した例もある。

しかし2022年のレギュレーション改定以降、走行中に任意でトー角を変化させる装置は禁止されている。マクラーレンが興味深いのは、これを明確に“装置”ではなく“構造”によって達成している点だ。

つまり、アクチュエーターやリンク機構を持たずとも、サスペンションの構成自体で「条件に応じてトー角が自然に変化する」よう設計されている。

どのようにタイヤ温度に影響するのか?

トー角が変化すると何が起きるのか。これは単にターンインの応答性だけの話ではない。トーアウト状態ではタイヤがわずかに引きずられ、温度が上がりやすくなる。一方、トーゼロやトーインでは摩擦が減るため、温度上昇が抑えられる。

マクラーレンの構造は、ステア入力や縁石を踏んだ際の上下動に応じてトーアウト傾向を作り出す。これにより、ターンイン時にタイヤの外側エッジが素早く適正温度に到達する。一方、直線ではトーが戻ることでドラッグを抑え、過剰な温度上昇も防ぐ。

結果として、幅広い条件で常に“適温”を維持できるフロントタイヤとなり、スティント全体のグリップと一貫性に繋がっている。

バルセロナでの実証:高温・高負荷でも安定

実際、2024年スペインGPのような高温・高エネルギーのレイアウトにおいても、マクラーレンはロングラン中にフロントタイヤの温度を一定に保ち続けていた。他チームがオーバーヒートやブリスターに苦しむ中、MCL39はラップタイムの落ち込みが極端に少なかった。

これは単に冷却性能やエアロだけでは説明できず、タイヤ接地面の熱分布を動的に調整できるこのサスペンション機構の恩恵と考えられる。

ノリスのフィーリングの変化もその証左か

ランド・ノリスは直近のレースで「フロントのフィーリングがさらに良くなった」とコメントしている。これは単なる心理的な要因ではなく、ジオメトリ変更によるステアリングの自然な“応答感”向上によるものだろう。

構造変更ではなく設定のアップデート──すなわちリンクの初期角度やアーム長、ダンパーのレバー比の微調整で、よりドライバーの入力に忠実なレスポンスが得られるようになったと推察できる。

レッドブルとの違い──“本物”のマルチリンク

なお、かつてレッドブルが“マルチリンク式フロントサスペンション”を採用していると報道されたことがある。しかしそれは誤解で、実際にはアームの分割構造を空力的に整形しただけだった。通称「ケーキティン」構造で、機械的な自由度は制限されていた。

それに対し、マクラーレンの設計は明確にリンクポイントを複数持ち、かつジオメトリが走行状態によって変化するという意味で、純粋なマルチリンク設計と呼べる。

サスペンションが支える競争力

2024年のマクラーレンの進化は、空力だけでも、PUだけでも語れない。その核心にあるのが、タイヤに常に“適切な仕事”をさせるためのメカニカル哲学だ。

仮想ステア軸とマルチリンク構造により、MCL39は走行状態に応じて“自然に変身する”フロントサスペンションを手に入れた。その柔軟性こそが、ランド・ノリスやオスカー・ピアストリに強力な武器を与えている。

今後の課題は、この高度なサスペンション構造をどこまで再現性高く、空力パッケージと整合的に運用できるか──この先もマクラーレンの“足元”から目が離せない。