Formula Passion

ブレーキが“考える”理由──F1ブレーキ・バイ・ワイヤの真価

「ブレーキ・バイ・ワイヤ」という名称は、いかにも単純な電子制御システムのように聞こえる。しかしF1におけるこの仕組みは、単なる利便性や先進性の象徴ではない。むしろ、現代F1がハイブリッド時代を成立させるための“必須条件”と言っていい存在だ。

その理由を理解するには、まずF1マシンのブレーキ性能そのものを正しく認識する必要がある。

想像を超えるF1の制動エネルギー

現在のF1マシンは、フルブレーキング時に最大で約5Gもの減速度を発生させる。一般的な市販車が緊急制動でも1Gに届くかどうかであることを考えれば、その異常さが分かるだろう。
F1では、1.5秒以上にわたって2000kWを超えるパワーを“吸収”する激しいブレーキングが、決して珍しくない。エンジンとハイブリッドを合わせた最大出力が約680kWであることを思えば、減速時に処理されるエネルギー量がいかに桁外れかは明白だ。

この巨大なエネルギーを、単に熱として捨ててしまうのではなく、一部を再利用するのがF1のハイブリッドシステムである。

回生がもたらす新たな問題

F1のエネルギー回生は主にブレーキング時に行われ、昨年までのシステムでは120kW、今年には350kWもの回生能力を持つ。これはマシン全体の制動パワーの約17.5%に相当し、もはや“補助的”とは言えない割合だ。

重要なのは、ここで扱っているのが「パワー」ではなく「エネルギー」だという点である。350kWの回生を1.5秒続ければ、約0.5MJのエネルギーがバッテリーに蓄えられる。このエネルギーは後の加速に使われ、ラップタイムに直結する。

しかし、バッテリーが満充電になった瞬間、この回生は停止せざるを得ない。過充電は安全上許されないからだ。問題は、回生がリアアクスルでのみ行われているという事実にある。

もし回生が突然止まれば、リア側の制動力が一気に失われ、ブレーキバランスが大きく崩れる。限界域で走行するF1マシンにとって、これは即スピンやコースアウトにつながりかねない致命的な変化だ。

ブレーキ・バイ・ワイヤの本質

この問題を解決するために導入されたのが、ブレーキ・バイ・ワイヤ・システムである。

フロントブレーキは従来通り、ドライバーの踏力がマスターシリンダーを通じて直接キャリパーに伝えられる。一方、リアブレーキは油圧バルブと電子制御を介した独立系統となっており、ドライバーの踏力とは切り離された形で制御されている。

システムは常に、リアブレーキラインの圧力とバッテリーの充電状態を監視し、「どれだけを電気回生で処理し、どれだけを摩擦ブレーキで補うか」を瞬時に判断する。
回生が最大限可能な状態では、リアの制動トルクの多くをモーター側に任せ、不足分だけをキャリパーで補う。逆に、回生が制限されれば、その分を即座に油圧で埋め合わせる。

しかもこの配分は、ブレーキング中であっても連続的に変化する。ドライバーにとっては、常に一貫したペダルフィールと安定した制動バランスが保たれるわけだ。

フェイルセーフと“シェイプ”されるブレーキ圧

ブレーキは究極の安全装置であり、電子制御に全面依存することは許されない。そのため、ブレーキ・バイ・ワイヤには必ず機械的なバックアップが存在する。
万が一、制御系に異常が起きても、マスターシリンダーからリアブレーキへ直接油圧が伝わる経路が確保されており、最低限の制動力は保証されている。

もうひとつ、このシステムがもたらす重要な利点がある。それは、リアブレーキ圧の“形状”を自在に作れることだ。
ドライバーはコーナーや状況に応じてブレーキバランスを調整するが、ブレーキ・バイ・ワイヤは、単なる前後配分だけでなく、ブレーキングの初期・中期・終盤で圧力のかかり方を変化させることができる。

これにより、制動力の最大化だけでなく、マシン姿勢の安定やコーナー進入時の挙動制御にも大きく貢献している。

ハイブリッド時代のF1に不可欠な存在

ブレーキ・バイ・ワイヤは複雑で、理解しづらいシステムだ。しかし、巨大な制動エネルギーと高出力な回生システムを同時に扱う現代F1において、これなしで安全性と性能を両立させることは不可能に近い。

それは単なる電子制御ブレーキではない。
ハイブリッドF1を“成立させている縁の下の力持ち”こそが、ブレーキ・バイ・ワイヤなのである。