▽トヨタの8年間
トヨタの8年間のF1活動を振り返ると、それが苦難の歴史であることがわかる。
139のレースに参戦し、3回のポールポジション、13回の表彰台が、彼らが残した成果である。
トヨタは結局、1勝もできずにF1から去ってしまった。
その原因を探っていくと、彼らのF1を戦う方法が通常のF1チームと違っていたことが、浮き上がってくる。
彼らはWRCでも、ル・マンでも成功を収めてきた。
だから、F1でも自信があったのだと思う。
参戦を発表する会見でも、3年でレースに勝ち、5年でチャンピオンを取ることを目標としていた。
だがF1がそんなに簡単なカテゴリーでないことは、明らかだった。
F1ではワークスとプライベートチームが互角に戦う、世界のモータースポーツでは極めて珍しいカテゴリーである。
他のカテゴリーであれば、ワークスがプライベートチームに負けるということは、ほとんどない。
だが、F1ではメーカーが、プライベートチームに勝つことは稀である。
フェラーリはメーカーと言うよりは、レーシングチームが市販車を作っていると言った方が正確であるし、ルノーにしても、元々はベネトンというプライベートチームであり、いまだにイギリスを拠点としている。
このように考えると、近代F1の始まりと思われる1970年代以降、メーカーがチャンピオンを獲得したことがない。
資金量はF1においても重要な要素ではあるが、それが絶対でないのもまた事実である。
だから予算の多いメーカーが勝つとは限らない。
金の多さが問題ではなく、金の使い方が問題となるのだ。
▽トヨタのF1へのアプローチ
トヨタのF1へのアプローチは他のチームとは全く違っていた。
結果的に、それがトヨタを勝利から遠のかせることとなった。
彼らのF1へのアプローチは、他とどう違っていたのだろうか。
まずは本拠地をドイツ ケルン近郊に据えたことである。
ここは元々TMG(トヨタ・モータースポーツ有限会社)の前身でラリー活動をおこなっていたTTE(チーム・トヨタ・ヨーロッパ)の本拠地があった。
それが大きな理由となって、ここを本拠地に選んだのだろう。
だが、F1の人材は圧倒的に英国人が多い。
F1のチームも英国を拠点にしているチームが多い。
結果的に英国に存在しないチームが、人材を獲得する場合、費用がかさむし、困難さが増す。
特にトヨタが欲しがる能力と経験を併せ持つベテランになると、家族もいるし子供もいる場合も多い。
その場合、彼らにとってドイツという土地は、決して魅力的ではなかった。
結果的に有能な人材を獲得することに苦労することになった。
これはホンダが、ロス・ブラウン獲得に成功したこととは対照的である。
ロス・ブラウンは長年イタリアで働いた後、母国イギリスで働きたかった。
だからもし、ホンダがドイツにあり、トヨタがイギリスにあれば、ロス・ブラウンはトヨタに参加した可能性もある。
更にトヨタの場合、ドイツに拠点を作ったことで、英語、ドイツ語、日本語が入り乱れて、他の言語を話せない人とのコミュニケーションが難しくなった。
もちろん、トヨタでも英語は共通言語であったのであるが、全ての会話が英語でコミュニケーションされていたわけではない。
これはかなり難しい問題である。
またチームが勝てないとチーム内に派閥ができ、お互いの言葉が理解できない人たちは疑心暗鬼になり、チームに一体感が生まれにくくなった。
またトヨタの企業文化もF1で勝つことを難しくした。
ガスコインのような有能な人物を雇用しても、彼らの企業文化と衝突し、長続きしなかった。
ガスコインは誰とでも上手くやれる性格の人間でないことは明からであるが、2005年に、彼が結果を残しつつある中で解雇されたことは実に不思議である。
ガスコインは独断専行で、新しいパーツを積極的に投入したがった。
新しく有効なパーツを誰よりも、早く投入することは、競争力を改善するためには、必要不可欠であるが、トヨタのやり方はそれを妨げた。
F1では問題を解決するソリューションが5個あった場合、自身の経験や理論から2個ぐらいに絞って、テストし検証して、新しいパーツを導入していく。
当然、ガスコインもそうしたかったはずである。
それがF1の流儀であり、常識である。
ところが、メーカーであるトヨタは5個の全てを検証し、そのうちの1個を採用するプロセスを取っていた。
当然時間が掛かる。
これが年間に1個しか新しいパーツを投入しないのであれば、それほど問題にもならない。
だが、年間数千個に及ぶパーツを投入するF1において、この時間のロスは致命的である。
どんなに優れたパーツであっても投入時期が遅ければ、効果は薄い。
トヨタが3ヶ月かけて新しいパーツを投入しても、ライバルが1ヶ月毎に新しいパースを投入していれば、差は広がる一方である。
確かに、この方法にも利点はある。
社員の理解度は深まるし、経験値も増える。
またマニュアル化して情報共有することもできるだろう。
マニュアル化できれば、どんな人間がやってきても、そつなく仕事ができる。
そしてトヨタはその仕事のやり方で、効率的な開発システム、生産システムを開発して、世界の頂点に立った。
だが、F1の世界は職人の世界である。
エイドリアン・ニューウェイやロス・ブラウン、ロリー・バーン。
彼らが個人独特の方法論で発想したものを形にしたのがF1マシンである。
▽慎重なトヨタ
トヨタのマシン・デザインも保守的であることが、多かった。
ニューウェイやバーンのような斬新で、その後のトレンドを生み出すようなマシンを開発することができなかった。
また、レース戦術も保守的であることが多かった。
今年のバーレーンが最も象徴的であったが、コース上にラバーがのってきた第二スティントで、ライバルがソフト側のタイヤに交換する中、トヨタはハード側のタイヤを選択した。
これによりペースが落ちたツゥルーリは3位になるのが精一杯だった。
2001年に1年間テストを続けたことも、トヨタの慎重さを裏付ける。
マシンがあるのであれば、レースに参加した方がいい。
コストだってそんなに変わらないし、レースで得られるデータや経験は、テストで得られるそれらよりもはるかに有益である。
例えそれが最下位でもいい。
そこから、学ぶべき事は多い。
明らかに、トヨタは既存のやり方と明らかに違う方法で、F1を戦おうとした。
F1においては勝つことが最優先される。
マシンが速くなるのが、最も大事で、最も優先される。
勝つためには、新しいパーツを他チームより早く投入することが求められる。
そう言う状況の中で、このスタイルで開発をすることは、大きな弱点になった。
また、新しいパーツを採用する場合も、社内の正式な会議を経なければならず、さらに時間が掛かっていた。
これらが大きな理由となり、トヨタはシーズン序盤は調子がいいが、後半になると失速することが多くなった。
だがこれはF1においては致命的な問題である。
F1の特徴の一つは、開発のスピードが格段に早いことである。
開幕前とシーズン終盤のマシンは別物と言ってもいいくらいである。
開幕時に最下位のマシンが、シーズン終盤には同じコースでポール・ポジションと同じタイムを記録することも珍しくはない。
それほど開発スピードが重要視される、F1においてこの開発スピードの遅れは大きな弱点となった。
またトヨタはチームの役員を、シーズン途中に人事異動させたこともある。
これは一貫性や影響力という面からすれば、チームに大きな影響を与える。
ロン・デニスやフランク・ウィリアムズに人事異動はない。
また彼らが日本の本社の会議に出るために、レースに来なかったこともある。
レース経験の少ないジョン・ハウエットを現地の責任者に命名したことも不可解である。
彼はかつて、若干ラリーチームに関わっていた経験はあるものの、TMGに来る前は、トヨタとレクサスのマーケティングを担当していた。
トヨタは、彼をなぜF1チームの責任ある立場つけたのであろうか。
もちろんF1の経験のない人間がF1で活躍できないと言っているわけではない。
ビジネスの手腕が高ければ、それはF1でも応用できる。
優秀なビジネスマンだったフラビオ・ブリアトーレも経験が全くない状態で、F1に来てベネトンとルノーでチャンピオンを獲得している。
だが、トヨタF1が結果を残せないにも関わらず、なぜジョン・ハウエットが続投したのかは理解に苦しむ。
また、資金量は潤沢にあるが、それをあまりドライバーとの契約には使ってこなかった。
唯一の例外は、ラルフ・シューマッハーだが彼のサラリーと成績はとても、釣り合ってはいなかった。
F1においてドライバーの果たす役割は大きい。
それは予選で良いタイムを出し、レースで良い結果を残すだけではない。
テストにおいても良いドライバーは優秀であり、マシンの競争力を改善するには、重要な役割を果たす。
ミハエル・シューマッハーやフェルナンド・アロンソがその代表選手で、彼らはレースで結果を残すだけでなく、マシンの開発能力の抜きんでていた。
トヨタが数百億円をF1活動に投じるのであれば、その1割でもドライバー契約に使っていれば、また結果は変わっていたと思う。
もっともお金があるからと言って、トップドライバーが契約するかどうかは、別の問題ではあるが。
▽トヨタウェイ
このように見てくるとトヨタが勝てなかったのは、決して偶然ではないことがわかる。
ただ、誤解を招かないように言っておきたいが、私はこのコラムでトヨタを批判したいわけではない。
これは方法論の違いである。
レース屋とメーカーの違い。
欧州と日本の違いでもある。
トヨタは、彼ら独特の方法で世界の自動車業界の頂点に立った。
トヨタが困難なシャシーもエンジンも供給する道を選んだことは、挑戦だった。
これは最も困難な道である。
わかっていながら困難な道を選ぶことは、なかなかできることではない。
だが、トヨタは自分達のやり方に拘った。
それで勝利ができなくても。
こう見てくると、トヨタはF1に勝つためにだけに参加していたわけではないことがわかる。
そうであれば、とっくの昔に方針を変更していただろう。
彼らは彼らのやり方で、F1に挑戦する道を選んだ。
そして破れた。
。
それを批判することは簡単である。
だが、挑戦すること自体は素晴らしい。
トヨタがF1に挑戦しなければ、失敗することもなかった。
そして2009年、彼らは挑戦した。
疑惑を招いた二層式ディフューザーを投入した。
今までのトヨタであれば、決して投入しないパーツである。
リア・ウィングがフレキシブルであると判断され、開幕戦でタイムを取り消されたりもした。
リアのコークボトル形状も今までになく、絞り込んできた。
今までであれば、信頼性を第一に考えて、これほど絞り込むことはなかった。
さらに、日本GPでのツゥルーリの素晴らしいレース。
最初から最後まで攻めに攻めたレースだった。
そして、ブラジルとアブダビでの可夢偉の素晴らしいドライビング。
今年のトヨタは明らかに2008年以前とは違っていた。
それだけにトヨタの撤退は残念である。
山科氏が撤退会見で流した涙は、無念の涙であろう。
トヨタの挑戦は、結果を残せないまま終了した。
だがこの挑戦は無駄だったわけではない。
問題は、この失敗をトヨタ社内で総括し、今後の活かすことができるかどうである。
彼らの今後を見守ろうではないか。
それに、最後の最後に小林可夢偉という希望を残してくれた。
彼が2010年、F1で活躍することを望みたい。