フェラーリへ電撃移籍したベッテル。突然、移籍したように見えるが、その発端は数年前に遡る。
2012年にレッドブルとの契約が切れるベッテルに対して、当時のフェラーリチーム代表であるドメニカリが接触。ベッテルはフェラーリ移籍に関しては拒絶反応を示さなかった。ただ一つの問題を除いては。
ベッテルはフェラーリ移籍には前向きだったが、アロンソとチームメイトになることは拒否した。当時のフェラーリはアロンソがいなければ成り立たないほど、彼に依存していた。またドメニカリはアロンソとの関係もよかったことから、この時点でのベッテルのフェラーリ移籍は成立しなかった。
ただこの時点でフェラーリとベッテルは一つの合意をする。それはアロンソがフェラーリからいなくなった場合、ベッテルはフェラーリへ移籍するという合意である。
これは年齢が高くなってきておりアロンソ以後が心配なフェラーリにとっても悪い話ではなかった。この為、ベッテルの2013年以降のレッドブルとの契約書の中に、フェラーリからオファーがあった場合、契約を途中解除できるとの項目入れることに成功する。
当時のレッドブルはベッテルが絶対的なエースであり、彼を手放すことは考えられなかったから、交渉はベッテルのペースで進められた。これが今回の爆発した爆弾の導火線となる。
数年を経た2014年 バーレーンGP終了後にドメニカリが辞任した。そして新しい代表としてマテアッチが就任。だがマテアッチはいくらアロンソがすごいドライバーであれ、チーム内での影響力が強すぎることを懸念した。またアロンソがキャリアの晩年であることもあり、若いベッテルの獲得へ気持ちが傾いていく。
だがアロンソとはまだ契約が残っている。これをフェラーリが一方的に解除すると莫大な解約金が発生する。そこでマテアッチはアロンソのマネージメントサイドと違約金の減額を交渉した。
アロンソとの契約解除の交渉が進展中である事をベッテルが聞かされたのがモンツァでのイタリアGP期間中である。ホーナーがイタリアGPあたりからベッテルの様子がおかしかったと述べたのはこうした背景があった。
そしてフェラーリとアロンソ側の大まかな交渉がまとまったのが、日本GPの木曜日であった。そしてマテアッチは結果を翌日にベッテルへ伝えて、フェラーリとベッテル間の契約が有効になったと伝えた。
その日、ベッテルはホーナーとの面談を希望したが、忙しいホーナーとの面談はその日の夜になった。アドバイザーであるマルコと、TV電話で繋がったレッドブルのマテッツィも参加して、ベッテルのフェラーリ移籍が伝えられた。
レッドブル側はすでにリカルドがエース級の走りを見せていること、ベッテルの契約にフェラーリ条項が盛り込まれていたことなどから、彼の移籍は折り込み済であり、引き留めるでもなく移籍を認めた。
こうして大きな移籍劇が成立した。まだ赤いレーシングスーツに身を包むベッテルには違和感がある。これが彼の先輩ミハエル・シューマッハーのように見事にフェラーリを立て直して、真のスーパースターへのし上がっていくのであろうか。2015年シーズンはベッテルの真価が問われる一年になるであろう。