カタルーニャ・サーキットに初夏の太陽が降り注いだ週末、F1スペインGPは、マクラーレンの若きエース、オスカー・ピアストリによる圧巻のパフォーマンスによって強く記憶されることとなった。まるで熟練のドライバーが描く完璧な勝利のように、ポールポジションからスタートしたピアストリは、冷静沈着な走りとチームの的確な戦略によって、チェッカーフラッグをトップで駆け抜けた。この勝利は、ピアストリにとって今季の勢いを決定づけるだけでなく、マクラーレンにとっては10年以上遠ざかっていたドライバーズタイトル獲得への希望を、現実的な目標として膨らませるものとなった。

ピアストリ勝利の鍵は、ポールから首位を死守したオープニングラップ、そして残り6周でのセーフティカー明けのリスタート。この2つの勝負所を鮮やかに決めたことこそが、彼が勝利の女神を引き寄せた最大の要因だった。
言葉にすれば簡単に聞こえるかもしれないが、その実情は熾烈そのものだった。特に、マックス・フェルスタッペン率いるレッドブルが採用した3ストップ戦略は、マクラーレンの牙城を崩しかねない鋭さを秘めていた。しかしマクラーレンは、心理戦とも言える戦略合戦の中で一切の冷静さを失わず、2ストップ作戦を的確に遂行。トラックポジションを守り切り、フェルスタッペンのピットストップにも迅速に対応したことで、勝利を確かなものにした。
スタートの明暗とフェルスタッペンの猛追
レース序盤の見どころは、ピアストリの冷静なスタートと、それとは対照的に、僚友ランド・ノリスがわずかに遅れた場面だった。ピアストリは、スタートライトの消灯タイミングに完璧に合わせ、カタルーニャ名物の長いストレートでイン側ラインをしっかりと確保。一方、予選2番手のノリスは、本人も認めている通りスタートでの反応が遅れ、ターン1への進入でピアストリに後れを取った。
そのわずかな隙を突いたのが、スタート巧者のフェルスタッペンだった。ノリスはピアストリのスリップストリームを活かそうとしたが、ピアストリがセオリー通りマシンを左に寄せたことで、スリップストリームはフェルスタッペンが使い、ラッセルに対しては何とかポジションを守ったものの、フェルスタッペンにはターン1の外側から回り込まれ、ターン2でイン側を奪われてしまう。これによりフェルスタッペンが2位に浮上し、ピアストリを追う展開へと移った。
序盤、フェルスタッペンは3ストップ戦略のメリットを活かしてピアストリにプレッシャーをかける。実際、3周目にはDRS圏内に迫る場面もあったが、ピアストリはターン14の立ち上がりで絶妙なトラクションを発揮し差を広げ、フェルスタッペンに一切の隙を与えなかった。レッドブルはマクラーレンより早めのピットインを計画していたが、走行中のペース差で大きなアドバンテージを得られず、逆にピアストリが徐々にフェルスタッペンをDRS圏外に引き離していく。
フェルスタッペンがマクラーレンに対してグリップが足りないと訴えた状況を受けて、ノリスは13周目のメインストレートでフェルスタッペンを鮮やかにオーバーテイク。これでマクラーレンは1-2体制を築き、一時は盤石に見えたが、レッドブルは勝負を諦めていなかった。

レッドブルが3ストップを選択した理由
ほとんどのドライバーが2ストップ戦略を選んでいた。というのも、このサーキットでは追い抜きが難しく、トラックポジションの確保が極めて重要だからだ。
しかし、マクラーレンと同じ戦略では、スピードとタイヤのデグラデーション(摩耗)で優れるマクラーレンに勝つのは困難だった。そこで、レッドブルが選択したのが3ストップ戦略である。
この戦略を選んだ理由は大きく分けて三つある。
まず第一に、フェルスタッペンがマクラーレンと同じく2ストップを採用した場合、ラップタイムやタイヤの持ちでマクラーレンに対抗できず、純粋なレースペースで勝てないと判断されたこと。
第二に、このサーキットはタイヤの摩耗が激しく、新しいタイヤを履いた際のラップタイム向上の効果が大きい。そのため、複数回ピットインしてフレッシュなタイヤで走ることで、マクラーレンを逆転できる可能性があったこと。
第三に、仮にこの3ストップ戦略で優勝できなかったとしても、少なくとも3位以内に入る可能性が高く、リスクが比較的少なかったこと。2位や3位を狙える展開に持ち込める見込みがあったためだ。
以上の理由から、レッドブルはリスクを取ってでも勝利を狙う、攻めの3ストップ戦略を選択した。これは、常に「勝利」を最優先に掲げるレッドブルらしい判断と言える。
最終的に勝利には届かなかったかもしれないが、少なくともマクラーレンを本気で追い詰めたのは事実だ。もしフェルスタッペンがマクラーレンと同じく2ストップを選んでいたなら、マクラーレンは終始余裕の“サンデードライブ”を楽しんでいたことだろう。

戦略の応酬:レッドブルの3ストップ vs マクラーレンの2ストップ
フェルスタッペンはノリスに抜かれた直後の14周目にピットへ飛び込み、2セット目のソフトタイヤを装着。フレッシュタイヤのアドバンテージを活かしてトラフィックを次々とパスし、再びマクラーレン勢に迫った。レッドブルの狙いは明確だった。短いスティントでギャップを削り、マクラーレンがピットインした際にトップに立ち、クリーンエアの中でリードを築くこと。
その目論見どおり、マクラーレン勢が最初のピットストップを終えた時点で、フェルスタッペンは約5.7秒のリードを築いていた。しかし、マクラーレンより1回多くピットストップを行う必要があるフェルスタッペンにとって、このリードは十分ではなかった。スティント後半になると彼のラップタイムは徐々に落ち始め、対照的にミディアムタイヤで安定したペースを刻むマクラーレン勢が差を詰めていく。29周目、フェルスタッペンは2度目のピットインを行い、ミディアムタイヤに交換。これでピアストリが再び首位に返り咲いた。

レース中盤、フェルスタッペンは1分18秒台という驚異的なペースで追い上げ、一時はマクラーレンの牙城に迫る勢いを見せた。マクラーレンのチーム代表アンドレア・ステラも、「彼の速さは想像以上だった。第2スティントでミディアムに履き替えてからは我々もプッシュしつつペースをコントロールしていたが、それでも彼はすごい勢いで差を詰めてきた」と、当時の緊迫感を語っている。ドライバーたちも無線で「これ以上ペースを上げられるか分からない」と訴えるほど、フェルスタッペンのプレッシャーは強烈だった。
しかし、マクラーレンは冷静だった。ピアストリはノリスとのギャップをコントロールしつつ、フェルスタッペンとの差を慎重に見極めていた。そして、レッドブルが47周目に3度目にして最後のピットストップを行うと、マクラーレンは即座に対応。まずノリスがピットインし、フェルスタッペンのアウトラップでの猛攻をわずかに抑えてコースへ復帰。続く周にはピアストリもピットに入り、マクラーレンは1-2体制を維持したまま、レース終盤の勝負へと突入した。
本来であれば、レッドブルはタイヤ交換のタイミングを後ろにずらし、マクラーレンの戦略をかく乱したい意図があった。しかし、フェルスタッペンのラップタイムが伸び悩むなかで、早めにピットインしてフレッシュタイヤの利点を活かし、再びマクラーレンにプレッシャーをかけるしかなかった。フェルスタッペンがタイヤ交換に入った次のラップに、マクラーレンはダブルスタックを実施。その結果、レッドブルはマクラーレンとほぼ同じタイミングでのピットストップとなり、3ストップ戦略のメリットを活かしきれなかった。マクラーレンはレッドブルの動きを的確に読み取り、戦略的に優位な立場を保つことに成功した。

セーフティカー、そして運命のリスタート
勝利を手中に収めつつあったマクラーレンだったが、レースの女神は最後の試練を用意していた。アントネッリのオイル漏れによるコースアウトで、セーフティカーが導入されたのだ。残り周回はわずか6周。マクラーレンはここで大胆な決断を下す。ピアストリとノリスを同時にピットへ呼び戻し、「ダブルスタック」で中古のソフトタイヤへと交換。これは時間的に非常にタイトなオペレーションだったが、チームは見事に成功させる。
一方のレッドブルは、ここで究極の選択を迫られる。新品のソフトもミディアムも使い果たしており、残された新品タイヤはハードタイヤのみ。もしフェルスタッペンがピットに入らなければ、トップには立てるが、14周使い古したソフトタイヤで、フレッシュなソフトタイヤを履いたマクラーレン勢の猛追を受けることは必至だった。結果的にハードタイヤを選択したことで、彼の勝負権は事実上ここで潰えたと言っていいだろう。マクラーレンのピットウォールは、白いハードタイヤがフェルスタッペンのマシンに装着されるのを見て、勝利を確信したに違いない。正直、このタイミングでのセーフティーカーは登場は、レッドブルにとっては最悪のタイミングだった。
そして迎えた運命のリスタート。ピアストリはここでも完璧だった。セーフティカーのライトが消えるのを確認すると、ターン11から隊列を巧みにコントロールし、ターン13への加速区間で一気にスパート。ノリスは僅かについていくのがやっとで、フェルスタッペンは完全に置き去りにされた。
タイヤが暖まり切れていないフェルスタッペンは、最終コーナー立ち上がりでリアをスライドさせ、加速が遅れる。そこをソフトタイヤを履くフェラーリのルクレールが迫り、ストレートでオーバーテイク。しかもメルセデスのラッセルにもターン1でインに飛び込まれてしまう。ここはコースオフしながらも順位を守ったフェルスタッペンだったが、チームからペナルティの危険性があるから、順位を戻すよう指示を受け、渋々指示に従ったが、その後ラッセルと接触し、のちに10秒ペナルティを受けることになる。
セーフティーカー明けで、全体の差が縮まっていた状態での10秒ペナルティは、彼を4位から10位へと落とすことになり、ピアストリとのポイント差を大きくすることになってしまった。

ピアストリの成長とマクラーレンの未来
「基本的にはずっとコントロール下にあると感じていたよ」とピアストリはレース後に振り返る。「マックスが3ストップで来るとは思っていなかったし、あそこまでうまくいくとは想像していなかった。トラフィックの処理もあって思ったよりややこしい展開になったけど、それ以外は狙い通りで、必要な時にはしっかりペースを上げられていた」
「間違いなく上位に入る勝利だと思う。ベストかどうかは分からないけど、かなり強いレースだったのは間違いない。今週末の結果には文句のつけようがないよ」。レース後、ピアストリは自身のパフォーマンスをそう評価した。「それ以上に嬉しいのは、先週改善すべきだったポイントを分析して、ちゃんと立て直せたこと。求めていたパフォーマンスにしっかり戻ってこれた。それが今週末一番満足していることだ。」
バルセロナのような、本来であればレッドブルが強さを発揮するはずのサーキットで、ピアストリとマクラーレンが見せたパフォーマンスは圧巻の一言だった。この勝利でピアストリはチームメイトのノリスに対するチャンピオンシップポイントのリードを10に広げ、タイトル争いという新たなステージへと確実に歩みを進めている。そして、フェルスタッペンの終盤の不運も重なり、マクラーレンにとっては、10年以上遠ざかっているドライバーズタイトル獲得という夢が、現実的な目標としてその輪郭をはっきりとさせた週末となった。
次戦以降、レッドブルとフェルスタッペンがこの雪辱を果たすべく猛反撃に出るのは必至だ。しかし、マクラーレンとピアストリが見せたこの強さと冷静さは、2025年のF1シーズンが、一筋縄ではいかないエキサイティングな展開となることを予感させるに十分だった。カタルーニャの青空の下で輝いたパパイヤオレンジの閃光は、F1界に新たな時代の到来を告げているのかもしれない。