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ピアストリの盗まれた勝利:裁定に蝕まれた勝利の価値_イギリスGP観戦記

F1というスポーツは、ドライバーのスキル、マシンの性能、そしてチームの戦略が複雑に絡み合う舞台である。しかし、そのすべてが完璧に揃ったとしても、ひとつの判定がレースの帰趨を決定づけてしまうことがある──それが今回のオスカー・ピアストリに起きた「悲劇」だった。

“完璧なレース”の序章──フェルスタッペンを撃破したピアストリ

レース序盤、ポールシッターのフェルスタッペンにプレッシャーをかけ続けたピアストリは、冷静にチャンスをうかがい、8周目に見事なオーバーテイクを決めた。乾きつつあった路面でのタイヤグリップとマシンバランスが崩れつつあったレッドブルRB21を見極め、ハンガーストレートでのスリップストリームを最大限に活用した。

先頭に立ってからのピアストリは、実に落ち着いた走りを披露。ラップタイムは安定し、マクラーレンはダブルピットストップすら可能なギャップを築いていた。雨とセーフティカーによって展開は目まぐるしく変化したが、ピアストリはその度にリスタートを制し、主導権を渡さなかった。

しかし、勝利を手にするはずだったこの日、すべてを狂わせたのは“10秒”という裁定だった。

裁かれたリスタート──「普通のブレーキング」がなぜ罰されたのか

問題の場面は、後半のセーフティカー明けのリスタートだ。セーフティカーのライトが消えたタイミングで、先頭のピアストリは通常の「加速前の調整」として軽くブレーキを踏んだ。これは、タイヤとブレーキを温めつつ後続との間合いを調整する極めて一般的な行為だ。実際、1回目のリスタート時にも同様の操作があったが、その際には問題視されなかった。

にもかかわらず、スチュワードは2回目のリスタート時のブレーキングを「不規則で危険な動き」と判断し、10秒のタイムペナルティを科した。ピアストリはこれに対し「最初のリスタートと何も変えていない」と明言し、マクラーレンのステラ代表も「50バールのブレーキ圧は通常範囲内」「セーフティカーのピットインが遅く、タイヤ温度が著しく低下していた」として、判定の厳しさに疑問を呈した。

F1の世界において、ブレーキングひとつが「違反」として裁かれるには、それ相応の一貫性と説得力が求められる。しかし、今回の裁定にはそのどちらも見当たらなかった。

判定の影響──“10秒”が奪った勝利

ピアストリはレース終盤、路面の乾きに対応するためスリックタイヤへ交換する際に、10秒のペナルティをピットで消化することを余儀なくされた。これによって、彼はすぐ後ろに迫っていたランド・ノリスの後方でコースへ戻ることとなる。ノリスは、1周遅れでピットに入り、このレースで初めてリードを奪う。差は4.8秒、そこからのピアストリ追撃は、あまりにも厳しいものだった。

怒りを抑えきれなかったピアストリは、レース中に「もしチームがこの裁定を不当だと考えるなら、順位を戻してレースをさせてくれ」と無線で訴えたが、後に「それはノリスにフェアではない」と自身の言葉を引っ込めた。この冷静な態度は称賛に値するが、それでも彼の胸中には深い悔しさが残っていた。

「これはただの悔しさじゃない。報われるべき走りをしたのに、結果がついてこなかった。しかも自分のミスじゃないことが、なおさら辛い」とピアストリは語った。

勝者ノリス、敗者ピアストリ──光と影のコントラスト

ホームレースで歓喜の勝利を飾ったノリスは、ファンからの大歓声を受けながらフィニッシュラインを駆け抜けた。確かに彼も、セーフティカー明けの混乱や路面状況に柔軟に対応し、チャンスをものにした立派な勝者だ。

だが、その勝利の裏には、ペナルティで“無理やり退けられた”チームメイトの存在がある。ピアストリがセーフティカー後の走行ラインで「何も違反していない」と主張する以上、その裁定が本当に必要だったのか、F1ファンの間でも議論が続いている。

事実、フェルスタッペンですら「このペナルティは厳しすぎる」とコメントしており、以前のカナダGPでジョージ・ラッセルが類似のリスタートを行っても罰せられなかった事例との整合性にも疑問が投げかけられている。

誰のためのF1なのか──ファンの失望とスポーツの正義

この裁定は、ピアストリ個人の勝利を奪っただけではない。スポーツとしてのF1の信頼性をも損なった。スチュワードの裁定が不可視なバイアスや一貫性の欠如によって揺らぐのであれば、誰が純粋な勝負を信じて観戦できるだろうか?

ピアストリが強調したように、彼は何も違うことをしていなかった。むしろ、常にルールの範囲内で、レースリーダーとしての責任を果たそうとしていた。にもかかわらず、それが罰せられた。そうであるならば、今後のドライバーたちは、どこまでが“許容される操作”なのか、自己判断できなくなる。

「リスタートの主導権を握るドライバーが、セーフティカー明けにどう動くべきか」──このガイドラインが曖昧なままなら、今後も同様の混乱は繰り返されるだろう。

希望はまだある──続くピアストリとノリスの戦い

今回の結果により、ピアストリとノリスのポイント差はわずか「8」。これは、マクラーレンにとってチーム内バトルが本格化する兆しであり、F1ファンにとっては今後のシーズンを彩る魅力的な展開でもある。

だが、その戦いが真に公平なものであるためには、運営側の裁定もまた、透明で一貫したものでなければならない。でなければ、どれだけ素晴らしいレースをしても、「勝つべき者が報われない世界」に陥ってしまう。

勝利は、実力で勝ち取るものだ。だが今回は、その実力が“ルールの影”に覆い隠された。

ピアストリの盗まれた勝利は、単なる1レースの出来事ではない。
それはF1というスポーツに対する、根本的な問いを我々に突きつけている。

このスポーツは、誰のために存在しているのか?
そして、正義はいつ、どこで、誰によって守られるのか?