「エンジニアがスターになることは稀だ」──。
だが、F1の世界でその常識を覆した男がいる。エイドリアン・ニューウェイ。ウィリアムズ、マクラーレン、そしてレッドブルで数々のチャンピオンマシンを生み出し、いまや“史上最高のF1デザイナー”と称される存在だ。彼の設計思想は単なる技術論にとどまらず、「空気」と「人間」の関係、そして「チーム文化」そのものを設計する哲学にまで踏み込んでいる。
この記事では、ニューウェイの思想を象徴する3台――ウィリアムズFW18, レッドブルRB18, アストンマーチン――を通じて、“天才の思考”をひも解いていく。

ウィリアムズFW18──「人の感覚を信じる」設計哲学の原点
1996年、ウィリアムズFW18はデイモン・ヒルを世界王者へと導いた。電子制御アクティブサスペンションが禁止された直後の混乱期に、ニューウェイは純粋なメカニカル・バランスと空力効率の融合という新しい答えを提示した。
「FW18は、私が目指していた“空力効率と機械的調和の融合”を初めて実現できたマシンだった」。
FW18は、前年のFW17Bを基本に発展改良させたマシンであり、1996年の新規定に合わせてデザインされた部分を除けば似た外見となった。しかしニューウェイは「FW17の出来は良かったが、セットアップが少しトリッキーなマシンになってしまった。だからFW18では変えるべき部分については白紙からデザインをしようと思った」。
「昨年問題が多かった信頼性を向上させたかったので、特に油圧システムはルノー・スポールのエンジニアの力も借りて、かなり深い部分まで見直しをした」と述べている。「空力バランスも細かい部分を突き詰めて、FW17よりもセッティング変更に対する反応を良くしたかった。」と設計で配慮した点を語っている。
またデイモン・ヒルはFW18を「FW17より明らかに乗り心地がよくなり、タイムアタックしやすくなった。」と述べて、「FW18は珠玉の1台と言っていいと思う。ファンタスティックで、エキサイティング。素晴らしい時間を過ごさせてもらったよ」と自身の乗ったマシンの中で最高のマシンと評している。 ニューウェイも「運転しやすいと言ってもらえて安心した。それこそがこのマシンで一番実現したいことだった。」と地道な改善の成果を喜んだ。
このFW18では、ノーズ下の空間を最大限に活かし、サイドポッドを極端に絞り込み、重心と空力中心を一致させた。それは単なる“速さの追求”ではなく、「ドライバーが何を感じるか」を数値に変換する試みだった。
「設計者は、自分がその車を運転している姿を想像しなければならない。ピッチング時の感覚、グリップの限界――数字が語るのは物語の半分にすぎない」。
ニューウェイにとって、設計とは“感覚の翻訳”である。FW18は、彼の思想が初めて具現化したマシンであり、F1デザインを「人間的な営み」として再定義した瞬間だった。

レッドブルRB18──制約を創造に変える統合設計の頂点
2022年、新しい技術規則によってグラウンドエフェクトが復活。多くのチームが“ポーポイシング”に苦しむ中、レッドブルのRB18だけが安定して速かった。その理由は、ニューウェイが「規則を制限ではなく創造の出発点」として扱ったことにある。
「最初は新しい規則がとても窮屈に見えた。でも細部を掘り下げていくと、想像以上に“解釈の余地”があることに気づいた」。
RB18は、空力・構造・サスペンション・冷却のすべてを一つの思想で統合したマシンだった。フロントにはプルロッド式、リアにはプッシュロッド式サスペンションを採用。気流をスムーズに流しながら剛性と操縦性を両立させた。サイドポッドは「ケープ形状」と呼ばれる独特のえぐりで、車体後方の空気の流れを整える。これらは単なるパーツの組み合わせではなく、“一枚のスケッチ”から生まれた構造体である。
「私はCAD操作に時間を取られるのが嫌なんだ。設計は、頭ではなく手が無意識に描くものだ」。
ニューウェイは今でも手描きスケッチから設計を始める。それは論理よりも直感を優先させる儀式であり、彼の右脳と左脳が交わる瞬間だ。そして彼は言う。「偉大なマシンは一人のアイデアでは生まれない。そのアイデアを信じた何百人もの人間がいて、初めて完成するんだ。」
RB18は、天才の閃きとチーム文化の融合によって誕生した「組織としての芸術」だった。この車を通じて、ニューウェイは“制約こそ創造の源泉”であることを証明してみせたのだ。

アストンマーティンAMR26──未知への挑戦と新時代の設計思想
2026年、F1は再び大転換を迎える。新しいシャシー規定とパワーユニット規則が同時に導入され、
ニューウェイはその中心に立とうとしている。
「私の記憶にある限り、シャシーとパワーユニットの規則が同時に変わるのは初めてだ。ワクワクすると同時に、少し恐ろしくもある」。
アストンマーティンAMR26は、その転換点を象徴するマシンとなる。軽量シャシーと空力効率の両立、そしてホンダ製PUとの融合。彼が掲げるテーマは、「軽量化・空力・エネルギー効率の三位一体設計」だ。
冷却ダクトやバッテリー配置、エネルギー回生システムなど、あらゆる要素を“空気の流れ”と調和させる。これはまさに、彼が30年にわたり磨いてきた設計思想の集大成でもある。
「良質な40%スケール風洞があれば、完璧な開発ができる。風洞は、エンジンのベンチテストと同じような存在なんだ」。
風洞とCFD(数値流体解析)を使いこなすその姿勢は、“アナログとデジタルの融合”というニューウェイらしい柔軟さを象徴している。そして彼の思考の根底には、常にこの信念がある。
「良いデザインとは、科学と芸術――右脳と左脳の両方を使うことだ。」

ニューウェイの思想とF1の未来
ニューウェイは、空力からシャシー、車両力学、さらにはシミュレーション技術まで、あらゆる領域を横断してきた。そこにあるのは、単なる専門家ではなく、全体を見渡す「統合的な設計者」としての視点であり、それこそが彼を他のエンジニアと一線を画す存在にしている。
彼は「良い設計者とは、右脳(創造力)と左脳(分析力)の両方を働かせる人だ」と語る。CAD全盛の時代にあっても、紙とペンを手にスケッチを重ねるのは、思考の自由を保つためだ。
優れたマシンは、個人の才能だけでなく、チームや工場、現場との連携の中から生まれる。レッドブル時代の成功は、彼の才能と同時に、設計者が「好きなように挑戦できる環境」が整っていたことに支えられていた。
そして今、2026年の新レギュレーションを前に、ニューウェイは「設計の新たなフロンティアが来る」と語る。彼にとってルールとは制約ではなく、創造の出発点だ。「設計とは、枠の中で何ができ、何ができないかを理解し、その中から抜け出すことだ」と言うように、限界は挑戦のために存在する。
彼が最後に語った「勝つマシンとは、チーム文化や共有知が形になったものだ」という言葉は、技術を超えた人間の知の結晶を指している。
ニューウェイはF1という実験場で“空気の流れ”をデザインしてきた。しかし、彼が本当に設計してきたのは、「勝利の哲学」そのものだったのかもしれない。
その思考が止まるとき、F1の進化もまた止まる――。それこそが、エイドリアン・ニューウェイという名がF1史に刻まれ続ける理由である。




