トヨタがF1から撤退して15年以上が経過し、現在トヨタはハースとの技術提携を通じてF1に参戦する方法を選択しました。このニュースを受けて、過去のトヨタのF1での挑戦とその失敗原因について振り返り、その教訓を考察してみます。かつてのトヨタは、莫大な資金を投じながらも、勝利を手にすることなく撤退しました。その原因には複数の要因が絡み合っていました。

F1を過小評価したことが命取りに
トヨタは1999年にF1参戦を発表し、2002年から2009年までの8シーズンにわたってF1に参戦しました。当時、トヨタはすでに世界ラリー選手権(WRC)やル・マン24時間レースでの成功経験を持ち、その延長線上でF1も同様に成功できると考えていました。しかし、F1という競技はWRCやスポーツカーレースとは異なり、技術力と組織力が高度に融合された世界です。この点で、トヨタはF1の難易度を過小評価していたと言えるでしょう。
トヨタは車体とエンジンの両方を自社開発するワークスチームとして参戦し、この挑戦は大きな技術的ハードルとなりました。F1では、車体とエンジンの開発は別々に行うことが多く、それぞれが専門的な知識と経験を持つパートナーと協力して行うのが一般的です。しかし、トヨタは全てを自社で完結させようとした結果、他のチームとの技術的な差を埋めるのに苦しみました。
さらに、トヨタは初期においてエンジン設計でも問題に直面しました。当初はV12エンジンでの参戦を計画していたものの、FIAのエンジン規則変更によりV10エンジンを採用せざるを得なくなり、これが開発計画の大幅な遅延とリソースの浪費を引き起こしました。
この変更は、既存のチームがトヨタの計画を恐れて働きかけた結果の一部でもありました。このエンジン規則変更が、トヨタが参戦を2001年から2002年に遅らせる公式な理由とされましたが、実際には初年度に参戦するつもりはなく、1100万ドルの保証金を捨てることをいといませんでした。しかし、すでにV12エンジンプロジェクトには多くの時間と資金を投じており、それを放棄せざるを得ませんでした。このように、トヨタがF1の政治的な戦いで敗北するのはこれが最初でもなかったし、最後でもありませんでした。
ドライバーの責任にする姿勢がチームに悪影響
トヨタはパフォーマンスが上がらない原因をドライバーに求める傾向がありました。初期のテストプログラムでも、トヨタの役員はミカ・サロやアラン・マクニッシュに対し「ブレーキが遅い」と指摘しましたが、実際には車体のダウンフォース不足が原因でした。このような誤った問題の原因認識は、ドライバーのモチベーションを削ぎ、チーム全体の士気に悪影響を与えました。
また、トヨタはトップドライバーの獲得にも苦戦しました。フェルナンド・アロンソやキミ・ライコネンといったスター選手の獲得を試みましたが、最終的には実現せず、代わりにヤルノ・トゥルーリやラルフ・シューマッハといった優勝経験がある実力派ドライバーを起用しました。しかし、彼らに対しても一貫して高いパフォーマンスを求めすぎるあまり、チームとしての問題解決には至らなかったのです。
特に2002年の初シーズンにおいては、ミカ・サロとアラン・マクニッシュが多くの努力をしたにもかかわらず、彼らがシーズン終了後に解雇されたことは、チーム内での問題解決の姿勢が欠如していたことを示しています。ドライバーに責任を負わせることで、技術的な問題や組織の欠陥に対する真摯な取り組みが後回しにされていたのです。

「トヨタ・ウェイ」の弊害
トヨタの企業文化である「トヨタ・ウェイ」は、効率と品質を重視するものであり、製造業においては非常に有効な哲学です。しかし、F1という競技の特性には必ずしも適合しませんでした。F1は非常に短期間で成果を出すことが求められる世界であり、迅速な意思決定と柔軟な対応が必要です。しかし、トヨタは企業文化をF1チームに持ち込み、結果として決定が遅れたり、状況に応じた柔軟な対応ができなかったりしました。
トヨタはチーム内の意思決定プロセスにおいて過度に官僚的な手続きを重視していました。重要な技術的決定が迅速に行われず、エンジニアや現場のスタッフがフラストレーションを抱えることが多かったのです。こうした決定の遅れは、競争力を維持するために必要な技術的なアップデートのタイミングを逃す原因となりました。
特に技術部門のマイク・ガスコインが解雇されたことは象徴的でした。彼はトヨタが最も成功を収めた2005年シーズンを支えた人物であり、強いリーダーシップを発揮しましたが、トヨタの企業文化にそぐわないと判断されてチームを去ることになりました。このような「トヨタ・ウェイ」に従わない者を排除する姿勢が、チームの柔軟性を失わせる一因となったのです。
ガスコインが解雇された理由はいくつかありましたが、彼が在任中、「トヨタ・ウェイ」に従わなかったことも一因でした。彼の独善的で対立的なスタイルは、トヨタの文化に合わず、結果が伴わなければ、彼の立場は脆弱でした。2005年の好調への彼の貢献を否定できませんでしたが、2006年になると、メルセデスやルノーが製造したものよりも性能が劣るV8エンジンの初挑戦もあり、根本的な問題が顕在化しました。
しかし、2006年にトヨタが進歩できなかった真の理由は、技術チームの意思に反して、日本からの指示でミシュランタイヤからブリヂストンタイヤへの変更が強制されたことでした。これは、トヨタ全体としては商業的に有利だったものの、TF106に引き継がれたサスペンションコンセプトとは合わず、この年の苦戦の一因となりました。F1チームのニーズはトヨタ全体の利益に二の次となり、それでもチームはフェラーリに勝利することが求められていました。
さらに問題だったのは、ガスコインの退任後、トヨタがコンセンサス型のアプローチに戻ったことです。この時点で、チームは新たな技術部長を迎え入れる好機にあり、大物を引き込んで次のレベルに引き上げるべきでした。強力な個性を持つ人物が、トヨタに自らの過ちを認識させる必要があったのかもしれません。
特に不可解だったのは、トヨタがフェラーリを去ったロス・ブラウンと接触する明確な機会を追わなかったことです。トヨタは彼が2008年シーズンの前にホンダに加入し、ブラウンGPのタイトル獲得と、その後のメルセデスの支配に繋がる基盤を築いたことを許してしまいました。
企業本社の干渉とコミュニケーションの遅延
トヨタはF1参戦にあたり、イギリスに本拠地を置くという伝統的なアプローチを避け、ケルンにあるモータースポーツ拠点を使用することを選びました。設備は充実しており、多額の投資がなされていましたが、これにより人材の採用が難しくなりました。F1の優秀な人材の多くはイギリスに住んでいます。特に家族がいれば顕著ですが、生活環境を変えたくない者も多く、人材獲得には多くの困難を抱えます。
トヨタのF1チームは、ドイツのケルンから、日本の本社との連携を図っていましたが、この距離と時差が意思決定の遅れを生む原因となりました。F1においては、迅速な意思決定が勝敗を分ける要因となることが多く、特にレース中の戦略変更や技術的な対応では迅速さが求められます。しかし、重要な決定が日本の本社に諮られることが多く、その結果、競争に必要なスピードを失ってしまいました。このような機動力のなさは、トヨタで働いていた多くの関係者からも指摘されていました。
また本社からの干渉も、F1チームの独自の判断を制約する要因となりました。例えば、先ほども述べたように、2006年シーズンにおけるミシュランタイヤからブリヂストンタイヤへの変更は、日本からの指示によるものであり、チームのパフォーマンスに悪影響を及ぼしました。このように、F1チームの判断より企業全体の利益に優先されることが多く、現場のニーズが二の次にされていたのです。
さらに、本社とのコミュニケーションにおいては、重要な技術的な情報や戦略的な意思決定が遅延することで、他チームに対して後れを取る結果となりました。特に、レースウィークエンド中における戦略的な変更を迅速に行うことができないことは、レース結果に直接影響を与える深刻な問題でした。こうした構造的な問題が、トヨタが競争力を発揮する上での大きな障害となったのです。

空力開発の遅れとダブルディフューザーの成功と失敗
F1での競争において、空力性能は非常に重要です。しかし、トヨタは参戦初期にはこの分野での開発に遅れをとっていました。空力はF1カーのパフォーマンスにおいて最も重要な要素の一つであり、トヨタはこの分野での経験と知識を他のトップチームに比べて欠いていました。2007年にはウィリアムズに敗れるなど、顧客チームにも後れを取る状況でしたが、マーク・ギランやフランク・ダーニーを迎え入れることでようやく改善が見られました。しかし、空力開発の重要性を理解し、対応するのが遅かったことは、トヨタの競争力を損なう大きな要因となりました。
F1での空力戦争が激化する中、トヨタはピッチセンシティビティ(車両の姿勢によって変わるダウンフォース)を改善し、様々な条件下で安定して走行できる車を作ることの重要性を理解するのが遅くなりました。しかし、2008年シーズンには車のピッチ感度が減少し、チームがようやく正しい方向に進んでいるように見えました。空力効率にはまだ課題が残っていたましたが、トヨタはようやく近代的なF1チームらしく機能し始めていました。
それにもかかわらず、この時期のトヨタはエンジンに関する政治的な駆け引きを上手く行えていませんでした。ルノーは、エンジン開発凍結時代において優遇措置を得るために活発にロビー活動を行いましたが、トヨタ(やホンダ)はこのゲームに積極的に参加しませんでした。
また、2009年のシーズンにおいて、トヨタはダブルディフューザーを備えたTF109で速さを見せ、開幕戦から表彰台に上がるなどの好成績を収めましたが、その後の戦略ミスや慎重すぎるアプローチによって勝利を逃しました。特にバーレーンGPでは、フロントローからスタートしながらも、タイヤ選択のミスで勝利を逃したことは象徴的です。この年のトヨタは、初勝利のチャンスを持ちながらも、そのポテンシャルを活かしきれませんでした。
ダブルディフューザーは2009年シーズンの鍵を握る技術であり、トヨタ、ブランGP、ウィリアムズがこの設計を初期から採用していました。しかし、トヨタはこの強力な技術を最大限に活用することができませんでした。レース戦略において慎重すぎた結果、他チームに対しての優位性を失い、特にシーズン中盤以降のアップグレードに対する信頼性の欠如がパフォーマンス低下を招きました。スペインGPでは新パーツをプラクティス後に外すといった決断が、トヨタの慎重さが裏目に出た典型的な例です。
トヨタのF1挑戦から学ぶ教訓
トヨタのF1挑戦は、巨額の投資にもかかわらず成功を収めることができなかった失敗として記憶されています。しかし、その失敗から学べる教訓は多くあります。まず、F1という競技の難しさを過小評価せず、専門的な知識と経験を持つパートナーと協力することの重要性です。また、企業文化を無理に持ち込むのではなく、現場のニーズに適応し、柔軟な意思決定を行うことが求められます。
さらに、F1における技術開発のスピードと柔軟性の重要性も挙げられます。トヨタは空力開発やエンジン開発において他チームに後れを取っていましたが、特に空力に関しては、初期の遅れが最後まで響きました。また、企業本社からの干渉を最小限に抑え、F1チームが現場で迅速に意思決定を行える環境を整えることが重要です。
現在、トヨタはハースとの技術提携を通じてF1に復帰しましたが、過去の失敗から学び、柔軟なアプローチと迅速な意思決定を行うことができるかが、今後の成功の鍵となるでしょう。F1は単なる技術競争だけでなく、組織全体のスピードと適応力が試される場です。トヨタが再びF1の舞台で成功を収めることができるのか、注目が集まります。




