ジュール・ビアンキ 若き才能の速すぎる死
ビアンキ 事故の裏側
彼はフェラーリの若手ドライバー育成プログラムの一員であり、最もフェラーリドライバーに近い男として知られていた。実際、今年フェラーリがボッタス獲得に失敗した場合、彼が元気な状態であれば、当然彼もその候補に入っていたのは間違いがない。
だが現在は、若いドライバーがトップチームのシートを得ることは昔ほど簡単ではない。昔はある程度の速さがあれば、資金力はなくてもシートを得ることが可能だった。だが今はお金に無関係にシートを得ることができるドライバーは10人にも満たないだろう。
しかも勝てるチャンスのあるトップチームのドライバー選びは年々保守的になり、実績の少ない若手ドライバーを抜擢する機会は少なくなってきた。
そんななか、彼は走らないマルシアで着実に実績を重ねてきた。そのハイライトが昨年のモナコGPであった。彼はあの走らないマルシアで幸運はあったにせよ9位に入賞。チーム史上初ポイントをもたらした。このビアンキの貴重なポイントによりマルシアは分配金をもらう権利を得た。
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そしてその分配金の権利を利用して、新しい投資を得て、今年不死鳥のように復活した。
つまり今年マルシアが走れているのはビアンキのお陰である。
だがマルシアで得点を取るのは、言葉で言うのは簡単だが、実現するのは恐ろしいほど非現実できである。このミッションをモナコGPという難攻不落のコースで達成するには、才能がなければ不可能であるのは間違いがない。
もちろん彼がチャンピオンになれたかどうかについては、実際の勝てるマシンに乗せてみなければわからない。だが彼については、そのチャンスを与えたくなるほどの逸材であったのは間違いない。
あまりにも速すぎるその人生に思いをはせ、モータースポーツに人生を賭けたこの才能あるドライバーの冥福を祈りたい。
将来を嘱望されていたフランス人ドライバー ジュール・ビアンキが7月17日、入院先の病院で永眠した。享年25歳であった。
彼は昨年の日本GPで濡れたトラックで走行中コースアウトした。だがコースアウトしたその場所に別のF1マシンを撤去していたクレーン車がおり、そこにビアンキは後方から激突。
一命は取り留めたが、意識不明の状態になり、その後フランスの病院に転院していた。
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