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アロンソ 2008年のレッドブルのオファーを断っていた

もし世界最高のドライバー フェルナンド・アロンソがレッドブルに乗っていたらと思うのは、アロンソファンだけではないだろう。しかし過去にその機会があったとしたら、心中穏やかでないかもしれない。 事の発端はアロンソがマクラーレンで居場所がなくなっていた2007年のことである。実はその時、アロンソにはあまり選択肢がなかった。マクラーレンに残れないとすると、競争力のあるチームはフェラーリしかないが、フェラーリは当時、ライコネンがワールドチャンピオンになり、マッサも好調で、他のドライバーがつけいる隙がなかった。最終的にマクラーレンと協議して、チームを離れることになったアロンソだったが、選べるチームは現実問題、ルノーかレッドブルしか残っていなかった。ルノーはかつて彼自身が2年連続チャンピオンになったチームだったが競争力は落ち、かつての栄光はなかった。一方のレッドブルは2006年にニューウェイが入って上向きの兆候はあったが、まだチャンピオンを争う存在ではない時代だ。 当時、アロンソとレッドブルとの交渉は数週間にわたり続けられた。マドリッドでアロンソのマネージャーとベルガーとマテシッツが参加しての交渉もあった。マテシッツはアロンソと契約したかったが、2年契約で3年目のオプションが条件であった。当時、まだ一流とはいえないレッドブルの競争力を考えると1年で結果を残すのが難しいと考えていたことがわかる。一方のアロンソは1年契約をしたかった。競争力のないチームに複数年縛られることを避けたかったからである。またマテシッツは「来年は無理でも、2009年には最高のドライバーがドライブするに値する競争力のあるマシンにする」と約束し、彼はそれを実現させた。レッドブルは2009年にコンストラクターズランキングで2位になり、翌年のチャンピオンへの礎を築いた。 2007年11月にF1の歴史を塗り替えるチャンスをアロンソは握っていた。だが最終的にアロンソはルノーを選んだ。その結果、レッドブルは既存のクルサードとウェバーを2008年も残留させる。クルサードは2009年にトロ・ロッソにいたベッテルが移籍するにともない引退した。2010年にアロンソはフェラーリへ移籍。 だがこの時のアロンソの判断を誰も責めることはできない。我々は歴史の結末を知っている。だからなぜあの時、アロンソがレッドブルを選ばなかったのかと思えるが、この時の状況を振り返ると10人いれば9人はルノーと契約するだろう。競争力を失ったとはいえルノーはその年、コンストラクターズランキングで3位。レッドブルは5位だったが得点差は2倍ほどもあった。※この年はマクラーレンがスパイゲート事件でコンストラクターズポイントを剥奪され、一つずつ順位が繰り上がってる。 この時、アロンソは同時にトヨタとも交渉していたが、ルノーは1年契約を受け入れ、アロンソはルノーへと戻っていく。歴史に「もし」はないが、この時アロンソがレッドブルと契約していたなら4年連続チャンピオンはベッテルではなく、アロンソのものだったかもしれない。

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