ルイス・ハミルトンがレース後、マシン下部のプランク(スキッドブロック)の過度な摩耗を理由に失格となったことは、戦略的に争われたF1アメリカGPに影を落とした。ここでは、6位スタートだったフェルスタッペンのグランプリ通算50勝目が、確実視されていたにも関わらず苦戦したUSGPを振り返ります。
▽三者三様のレース序盤
オースティンで行われた最初のスプリントレースは盛り上がりに欠けたが、日曜日のレースはフェルスタッペンの勝利という結果は同じであったが、エキサイティングなレースとなった。
サーキット・オブ・ジ・アメリカズでの優勝は彼にとって通算50勝目。しかし、もし状況がほんの少し違っていたら、フェルスタッペンの節目の勝利は次のメキシコGPにまで延期になっていたかもしれない。実際2021年12月のサウジアラビアGP以来、ハミルトンがF1の表彰台の頂点に立っていた可能性もあった。
ただハミルトンにとってスタート直後からあまり状況は良くなかった。ポールポジションからスタートしたシャルル・ルクレールは蹴り出し直後の加速がうまくいかず、フロントロウからランド・ノリスは素晴らしいスタートを切り加速。ノリスはすぐにフェラーリに並びかけ、ターン1ではすでに前に出てエイペックスを通過し、トップに立った。
その後方では、3位スタートのハミルトンがターン1のイン側でノリスの後ろにいたカルロス・サインツをかわすのに失敗し、出口でワイドになって4位にポジションを下げていた。
1周目終了時点でノリスはルクレールを1.8秒リードし、サインツが0.8秒後方、ハミルトンとフェルスタッペンが続いていた。
ノリスは 「スタートはとても良かった 」と感じており、「それでリードできたことは表彰台の大きな要因になった 」と語った。「もしそれがなければ自分のレースはもっと難しくなった」と付け加えた。
その時、ノリスに課せられ仕事は可能な限りプッシュしていくことだった。金曜日の予選でトラックリミットの違反でタイム抹消され、6番手スタートとなったフェルスタッペンが順位を挽回しつつあったからだ。
「私たちがまず考えたことはレースに勝ちたいということだった」とマクラーレンのチーム代表であるアンドレア・ステラは後にこう説明している。「そのための唯一の方法は、可能な限り速く走り、タイヤがどうなるか、タイヤが安定しているかどうかを確認することだった。タイヤのケアだけして、ラップタイム的に遅い戦略を達成するだけでは意味がなかった」
その結果、5周目にはノリスはフェラーリのルクレールに3.2秒差をつけた。その間にハミルトンは4周目のターン12でDRSを使ってサインツを抜き返し、その一周後フェルスタッペンは同じ場所でサインツを抜いた。6周目、ハミルトンはターン12でDRSを使ったアウト側のラインでルクレールをかわし、ノリスに3.2秒差の2位となった。
この差は17周目までには1.8秒差にまで縮まったが、その間にフェルスタッペンはルクレールをパスするのに時間がかかり、最終的に11周目のターン12のインに飛び込んで抜いた。この時フェルスタッペンがアウト側にいっぱいまで膨らんだので、ルクレールはターン12のランオフに飛び出し、ターン15が始まるまで戦いを続けたが後退した。レースコントロールはこのアクシデントを調べたが、適切な調査を行うには値しないと判断し、おとがめなしとなった。
「最初のスティントでは我慢しようとした。でも同時に、長い間ルクレールについて行ったことでタイヤが少し痛んだんだ」とフェルスタッペンは説明した。
そして16周目、レッドブルはアグレッシブなタイヤ戦略の決断を下し、フェルスタッペンに2セット目のミディアムタイヤを履かせる。これでフェルスタッペンの2ストップ作戦は決定的となった。(フェルスタッペンのスタートタイヤはミディアムで、レース中には2種類の異なったタイヤを履く義務があるから)
レッドブルのクリスチャン・ホーナーは、「すべてのシミュレーションが、2ストップのほうが速いレースができると示していた」と語った。
マクラーレンの優勝を目指すアプローチは明らかに2ストップに設定されており、フェルスタッペンが1回目のピットストップを行った翌周にノリスがピットへ向かったのは驚きではなかった。ここではアンダーカットのパワーは大きく2秒もあった。
また、マクラーレンがノリスのミディアムタイヤをハードタイヤに交換したのも驚きではなかった。(スプリントレースの影響で)一回しかないフリー走行では、(暑い日曜日午後のコンディションでは)ミディアムがどの程度保つかか確信が持てなかったからだとステラは述べた。
「タイヤの選択は簡単ではない。だからより安全策をとった。私たちのクルマは通常、ハードコンパウンドでうまく機能するからね」
しかし驚きだったのは、メルセデスがフェルスタッペンをカバーするためにハミルトンをすぐにピットインさせなかったことだ。メルセデスはその代わりに、ワンストップという別の作戦を考えていたのだ。
「マックスがピットインしたとき、あと3周走ればワンストップでいけるとわかっていた」とメルセデスのチームボスであるトト・ウルフは説明する。
ハミルトンは20周目にようやくピットインしたが、メルセデスはハミルトンにタイヤ戦略をオフセットさせたと伝えた。ハミルトンがコースに戻ったとき、(実質)順位を3位に落としており、フェルスタッペンとの差は6.5秒に広がっていてハミルトンはそれを信じがたいと感じていた。
「マックスがピットに入ったとき、彼は僕に近づいてもいなかった」とレース後の記者会見でその驚きを語った。
レースの次の焦点は、フェルスタッペンの1位奪還に焦点が移った。ノリスの最初のタイヤ交換後の9周で、フェルスタッペンは違うコンパウンドを履いて、平均0.35秒のアドバンテージを築いてノリスのリードを縮めてきた。
ピレリのモータースポーツ・ボスであるマリオ・イソラは、フェルスタッペンが履いていたミディアムのほうが 扱いやすく、グリップも高かったという。これは、トラックエボリューション効果が大きかった。先週末が完全なドライコンディションだったことに加え、オースティンのコース表面がラフなアスファルトで、より多くのラバーダウンさせる路面だったことがそれを後押しした。
ステラは第1スティントでノリスにプッシュさせたことを「とてもうまくいった」と感じており、「最終的に勝利をつかむのに十分なペースがありそうだった」とさえ考えていた。
しかしながら、28周目にフェルスタッペンはノリスをコース上でオーバーテイクした。
▽大きく動いたレース終盤
ステラはノリスが「タイヤ温度を少し失ったので、2セット目のハードに交換した」と説明した。そのためノリスの2回目のスティントはハードタイヤとしては比較的短い17周となり、34周目にトップ集団の中で最初にピットインしたノリスはアンダーカットの恩恵を最も享受することになった。
ノリスは後でこう振り返った。「僕は常に攻撃を受けやすいポジションにいて、どのスティントも終盤は明らかにペースが上がらなかった。「タイヤのデグラデーションは(フェルスタッペンやハミルトンと)同等ではなかった」
ノリスの2回目のピットストップを素早くカバーしたのはレッドブルで、その時フェルスタッペンは3.1秒のリードを築いていた。タイヤ交換後、フェルスタッペンはハードを履き、リードは1.9秒になっていた。
そして次の焦点はハミルトンになった。彼はライバルに比べて長い第一スティントを走った後、38周目に2回目のピットインし、18周(第一スティントを2周下回る)でスティントを終えたので、追加のタイヤオフセットは築かれなかったが、メルセデスはハミルトンのオープニングスティント終盤のペースダウンから学んで、早めにタイヤ交換を決断した。そうしないと最初のスティントで築いたタイヤオフセットを利用して、追いかける周回数が少なくなるからである。
この時、決定的だったのはハミルトンが新品のミディアムタイヤでコースに戻っていたことと、マクラーレンとノリスはすでに知っていたが、フェルスタッペンが 「ハードタイヤがあまりよくない 」ことを発見していたことだった。ノリスは最終スティントで使用する新品のミディアムタイヤがなく、最後のスティントを(あまり良くないことはわかっていたが)新品のハードで飛び出していった。
終盤、すべてのトップ集団がワンストップのルクレールを追い抜かなければならなかった。フェルスタッペンとノリスは39周目にこれをやってのけ、フェルスタッペンはターン1で、ノリスはターン12でこれをやった。その後、ハミルトンはフェラーリに接近し、43周目のターン12の手前でDRSを使ってパス。この時点でノリスとの差は3.7秒、フェルスタッペンとの差は6.2秒だった。彼がミディアムに戻した時点では6.4秒、7.6秒差だったので、差を縮めていた。
ハミルトンは48周目にノリスのDRS圏内に到達し、セクター3でマクラーレンに接近。次の周回が始まると、ハミルトンはターン1でアタック。ノリスはかなり遅いタイミングでイン側をカバーし、ディフェンスした。
「彼はかなり斜めに横切ってきた。それで僕は右側にかわし、それから切り返したんだ。とてもクールだったよ。楽しかったよ」とハミルトンはその時を振り返った。
ターン1出口の下り坂の出口でハミルトンはクロスラインを走りノリスを追い抜き、フェルスタッペンを追いかけた。この間、フェルスタッペンは 1周目 から悩まされていたブレーキトラブルで、より激しく動揺していた。
さらに、エンジニアのジャンピエロ・ランビアゼがブレーキング中に何度もフェルスタッペンに話しかけるなど、フェルスタッペンが余計なストレスを感じていたこともあり終盤、トップとの差は劇的に縮まっていった。
最終ラップでハミルトンは1.8秒差まで詰め寄ったが、フェルスタッペンがバックストレートで周回遅れに追いついたので幸運にもDRSを獲得し、ハミルトンとの差が開き、フェルスタッペンの優勝マージンは2.2秒となり、ノリスは10.7秒差でゴールした。
▽もし・・・していたら、ハミルトンは勝つことができていたか
ハミルトンは、もし第1スティントで長く走らなかったり、フェルスタッペンよりも早くストップしていれば優勝していたかもしれないかと尋ねられると、「そうだね」と答え、こう付け加えた「つまり、僕たちはマックスと戦えるポジションにいたと思う」
さて、問題はその主張が正しいかどうかだ。フェルスタッペンとレッドブルが思いがけず大きなプレッシャーにさらされることになったこの日、メルセデスが失ったものは勝利だったのだろうか?
数字を積み重ねていくと、ハミルトンは勝つことができたと言える。ハミルトンは最終ラップまでにフェルスタッペンのリードを1.8秒に縮め、「あと1周あればターン11で近づいて(DRSで武装したバックストレートエンドで)戦えるポジションにいたかもしれない」
それはいくつかの視点からもたらされる。1つ目は、ハミルトンがスタートで順位を失ったことで、レースを難しくしてしまった。サインツを追い抜くためにハミルトンはフェルスタッペンに差をつけるチャンスを逃してしまった。
「メルセデスはレッドブルと同じくらい速かった」というステラの評価があったので、ラッセルも「スタートを失敗した」ことで、2台目のメルセデスがハミルトンを守る役割をすることができなかったという点で代償が大きかった。
ハミルトンはまた「(最初の)ピットストップで少し時間がかかったかもしれない」と述べた。ウルフはチームが(ピットの)機器の分野で最近の最速のタイヤ交換には太刀打ちできないと認めた。
メルセデスのロン・メドウズによるとホイールガン、ホイールナットとハブに構造上の問題があり、既に改善に向けて動き出しているが、予算上限の関係からクルマの改善に注力していて、現状ではこの分野にまで手が及んでいないと述べている。
ハミルトンのストップタイムは3.6秒と3.4秒で、フェルスタッペンのストップタイムは2.5秒と(レッドブルとしては珍しいことに左リアの交換に時間がかかり)3.3秒だった。このタイムロスは、メルセデスの結果に大きく影響した。
さらに、ハミルトンは第二スティントのターン11でロックアップ。ハミルトンはフェルスタッペンに2.7秒失った。ノリスもハミルトンのすぐ後にこれをやっており、ステラは後に「ターン11へのブレーキングとその後の立ち上がり加速が、クルマのパフォーマンスから見て最も問題のある局面だった」と振り返っている。
しかし、メルセデスにとって最も大きな損失となったのは、ワンストッパーが本当に有効かどうかを試そうとした最初の決断だった。別の戦略であれば違った結果につながったと確信した理由を尋ねると、ハミルトンはこう答えた。
「必ずしも確信があるわけではないけど、最初のストップ直前で、僕はランドから1.8秒遅れていて、ここは大きなアンダーカット効果があった」
「だからあの瞬間は、おそらく先にピットインして、アンダーカットして前に出るべきだった。確かに際どかったと思うけど、ランドをオーバーテイクしていた可能性はある。僕たちはみんな似たようなペースだったと思うから接戦にはなった。ただタイヤ交換を先延ばししたことで、タイヤの崖を越えてしまった。だからタイヤ交換してコースに戻った時にはライバルははるか先を行っていた」
その時のハミルトンのペースは1分42秒台中盤から1分42秒台後半、そして1分43秒台中盤から後半へと落ちていった。また、「ライバルのタイヤが減り始めているときにはタイヤ交換のタイミングをずらすことは有効だが、実際には十分な違いとは思えなかった」。
ウルフはメルセデスが「マックスのタイヤ交換をカバーし、彼より数秒前に出るという同じ戦略では、レースに勝つには十分ではないと考えた」からこそ、1ストップの実験が行われたのだと説明した。
もしメルセデスがレース前半でハミルトンをフェルスタッペンに近づけることができていれば、勝利のチャンスはさらに広がっていたはずだ。なぜなら、ブレーキの問題はレッドブルがパルクフェルメでフェルスタッペンのブレーキ材を交換したことに起因するもので、ルールでは認められており、このような問題に関するFIAの公式発表には記載されていなかったが、珍しいことではなかった。これが彼に土曜日までと違うブレーキの感触と感じさせることになった。
それがフェルスタッペンのタイヤマネージメントにも影響を及ぼした。さらに、バンピーな路面での一貫性のないブレーキングは、タイヤ温度をさらに上昇させた。
▽レース後に事件は起こった
しかし、これらの素晴らしいレースはチェッカーフラッグから約2時間後のFIAの発表で吹き飛んだ。FIAはハミルトンとルクレールのマシンのリアプランクエリアが「第3.5.9条に適合していない」と発表したからだ。プランクの「指定された穴の周辺」から1mmしか削れないと規定している。
これより多く削れていたことが計測されたため、ふたりはリザルトから除外された。これでノリスが2位、サインツが3位に浮上した。
メルセデスのトラックサイドエンジニアリングディレクターであるアンドリュー・ショブリンは、ハミルトンのマシンの問題について、「(スプリントウィークエンドという圧縮されたフォーマットのため)FP1でレース用の燃料で走らなかったこと、このようなバンピーなサーキットが、予想以上の摩耗レベルにつながった」と語った。
ただハミルトンは、プランクの摩耗はパフォーマンスを求めるために過度に車高を落としたことに起因することは否定した。彼によるとバンピーなサーキット路面とスプリントレースがあったことに原因があると述べている。もし日曜日の朝にプランクを交換していれば、このようなことは起こらなかった。彼は検査が行われた4台のうち2台が過剰な摩耗で失格となっているので、全台数を検査すればかなりの数の失格者が出たと考えている。
メルセデスのエンジニアによると、スプリントレース終了時点で、プランク摩耗の兆候はあったが、それ以上は悪化しないと考えていた。摩耗は燃料が重いレース序盤に進行し、予想以上にDRSのない状態での走行が続いたことも影響したと述べている。
またメルセデスはオースティンに新しいフロアを持ち込んだこともあり、(空力評価のため)プラクティスでは燃料を減らしDRSも多用していた。レッドブルでは通常のプログラムを実行し、より多くの燃料を積み、DRSの使用頻度も少なかったのでプランクの摩耗状況について良い情報が得ている。
手に汗握る戦いの幕切れは、少しほろ苦いものとなった。
ただフェルスタッペンにとっては、また新たな歴史が刻まれることになった。