このGPには2人の勝者がいる。1人はご存じのリカルドで、もう一人は2位になったがアロンソである。この二人は、甲乙つけがたい素晴らしいレースを見せてくれた。では2位になったアロンソは何がどうすごかったのだろうか?
まず彼のマシンは明らかにメルセデスよりもレッドブルよりも劣っている。普通に考えればアロンソが2位なれるわけはない。もちろん今回、レース直前に豪雨に見舞われウエットコンディションのスタートになったこと、セーフティカーが入ったことはこの二人にとって幸運ではあった。何もなければニコ・ロズベルグが勝っていただろう。だが彼らはその幸運を実力で結果に結びつけることができた。それが優れたドライバーの条件でもある。
アロンソが38周目に最後のタイヤ交換を済ませた時、多くの人はもう一度アロンソはタイヤ交換をすると考えていた。彼はソフトタイヤに交換したからである。レースは70周で争われた。残りは32周。ソフトの寿命は20周前後と見られていた。今回はインターミディエイトタイヤでのスタートだったので、二種類のドライタイヤを履く義務はなかった。とはいえソフトタイヤで32周を走りきるのはかなり野心的な試みだし、無謀とも思われた。
2度目のセーフティーカーが登場した23周目、アロンソの前を走るリカルドとマッサはタイヤ交換する為にピットへ向かう。この時、アロンソはステイアウトしトップに立つ。そして32周目にソフトタイヤに交換するとフィニッシュを目指して走り出した。彼は2度目のSC時にタイヤ交換をせず、トップに立ってレースをコントロールする方を選択した。レースをコントロールすることにかけて、アロンソは世界一のレーサーである。
アロンソはハンガロリンクは抜くのが難しいサーキットであることを完全に理解していた。それはDRSがあっても、メルセデスのパワーユニットがあってもである。だからタイムを落として走っても、抜かれる可能性は低い。タイムを落として走ればタイヤが最後までもつ可能性が高くなる。実際、ハミルトンが後ろに着いた時もアロンソはペースコントロールしていた。
彼は曲がりくねったインフィールドセクションは遅く走りタイヤを温存し、最終コーナーの立ち上がりのトラクションに集中し、素早く加速をして、1コーナーの飛び込みで抜かれないようにだけした。そうすればDRSを使われても抜かれることはない。
だがアロンソの最大の誤算は、リカルドだった。
Part2へつづく