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ルクレールがペレスに敗れた2つの理由 シンガポールGP観戦記

3年ぶりに復活したシンガポールGPはいつものようにマラソンのような長時間の我慢比べとなりました。セルジオ・ペレスの勝利はスチュワードの調査により、レース終了後、数時間後に確認されましたが、彼はコンディションが変化する中、フェラーリのシャルル・ルクレールを見事に抑え込み、レース後のペナルティを上回る差をつけて難しいシンガポールGPを制しました。

フェルスタッペンが勝てなくても、ペレスが勝てることを証明したレッドブル・ホンダ

決勝スタート予定時刻の午後8時(現地時間)まであと65分となったところで、雨が激しく降ってきて、サーキット近くの高層ビルが見えなくなるほど激しい雨は、当然のことながらスタート時間を遅らせるという判断になりました。

ルクレールは、路面が続々と乾いてくるトリッキーな予選を経てようやくポールポジションを獲得しました。これは追い抜きが極めて難しいシンガポールGPでは、優勝のひとつの条件をクリアしていました。もうひとつの条件はスタートでリードすることです。しかしスタート時間が約1時間延期されたのにも関わらずグリッドはまだインターミディエイトでスタートしなければならないほど滑りやすい状況でした。

ルクレールは、「シンガポールではコースポジションが本当に、本当に重要なんだ」と振り返ります。実際、フェラーリとレッドブルの両チームは金曜日から、FP2でレースセットの時間を犠牲にして予選のセットアップを詰める用意をしていました。この市街地サーキットでは新型のグランドエフェクトカーでも抜くのは容易ではなく、路面が濡れた状態ではレーシングラインを外して走ることはクラッシュの危険性がありました。

レッドライトが消灯後、ルクレールとペレスは一斉にスタートラインから離れました。しかし、加速するフェイズでルクレールは「ちょっとだけホイールスピンをしてしまった」。その後、レッドブルが加速し、ペレスがターン1を抜けてトップに立つと、その後は一度もトップを譲ることなくレースを終えました。とはいえペレスのレースも簡単ではありませんでした。

レース後の記者会見で、ルクレールは「スタートが悪かったから、その後は本当に難しいレースだった」と語りました。彼はスタートで前に出ていれば、結果が違っていたかもしれないことについては言及しませんでしたが、それがいかに大きな代償をもたらしたか、そして最終的な敗因の2つのうちの1つであることを知っていました。

これまたいつものシンガポールGPのように、レースは予定されていた61周を消化することなく、2時間の制限時間が来て終了しましたが、それでもペレスはトップを維持して最後まで走り切る必要がありました。

スタートでわずかに出遅れたルクレールをパスして、レースをリードするペレス。これが結果に決定的な意味を持ちました

雨のレース序盤でのペレスの走りは見事でした。刻々と変わるコンディションの中、徐々にペースアップして後続との差を広げます。この間、ペレスはいつものようにタイヤの摩耗をスムーズに管理し、インターミディエイトではすべてを「コントロールできている」と感じ、ルクレールに対して毎ラップ0.1秒ずつアドバンテージを持っていました。

そんな中、ニコラス・ラティフィが7周目のターン5で周 冠宇の位置を見失い、周のアルファロメオを横切るように接触し、アウト側のウォールに激突しました。周は右フロントサスペンションを破損してその場でリタイア、ラティフィもパンクでピットに戻り、リタイアとなりました。

これでセーフティカーが導入されたものの、ペレスと他のドライバーはピットインしてタイヤをドライに変更することはありませんでした。レースは11周目に再開しましたが、再開直前にペレスがミスをしました。ペレスはセーフティカーから10台分以上の離れて走行しましたが、セーフティカー走行中は、隊列の先頭を走る(つまりトップの)マシンはセーフティカーから10車身以上離れてはいけません。ただこれがペナルティの対象となるのはまだ先のことでした。

再スタート時にペレスはルクレールのプレッシャーにさらされることはなく、再スタート後の1周目には1.2秒のリードを築き、その後はスタート直後と同様にペレスはペースを上げ、再スタート後の11ラップで平均0.3秒のリードを築きました。

21周目にフェルナンド・アロンソがエンジントラブルによりターン10でリタイアしたのを皮切りに、3回のバーチャルセーフティカーが導入されました。26周目にはアレックス・アルボンが低速でターン8の壁に正面から衝突し、フロントウイングを失ったため、VSCが発動されます。

アルボンのVSCからわずか1周後、エステバン・オコンのルノーエンジンから炎が上がり、再びVSCが発動されます。最後のVSCは30周目まで続き、その時点でペレスのリードは4.3秒でした。

しかし、その後ルクレールは1分56秒台で一気にペースを上げ、ペレスのリードを2.8秒に縮めます。ペレスは、この時タイヤのサーマルデグラデーションに見舞われましたが、深刻な事態にはなりませんでした。路面が乾いてきてドライタイヤに交換する時期が迫っていたからです。

21週目のアロンソのVSCでドライのミディアムタイヤへ履き替えたジョージ・ラッセルが、突如として紫色のセクタータイムで注目を集めます。当初は彼は新品のインターを希望していましたが、メルセデスはスリックというギャンブルを選択しました。彼には失うものはありませんでした。

ただラッセルも最初から最速だったわけではありません。スリックタイヤが温まるまで10周以上も3~5秒遅く苦戦しました。

このラッセルの最速タイムををきっかけに、33周目にはピエール・ガスリー、角田裕毅、バルテリ・ボッタス、ケビン・マグヌッセンらがピットに殺到。ルクレールは「ペレスとは反対の選択をるよう指示され、彼より先の34周目にピットインしました。

フェルスタッペンが上位にないレースで勝ちたかったルクレールだが、ペレスに敗れる

ルクレールはピットボックスの位置を越えて止めたので、メカニックが調整するために5.3秒のピットストップを余儀なくされました。ペレスは翌35周目にタイヤ交換しますが、このルクレールのミスがなくてもペレスはアンダーカットされることはなかったでしょう。路面は乾いてはいましたが、ドライタイヤの温度を上げるには想像以上に時間が必要で、このルクレールのアンダーカットはあまり効果的ではなく、ペレスはリードを維持できました。

36周目、温まりきらないタイヤでプッシュした角田がターン10でクラッシュし、セーフティカーが導入され、レースは中断されます。角田は「ブレーキングポイントを完全に誤り、コーナーにスピードを乗せすぎて壁に激突した」と述べています。

セーフティカーは再びペレスをピックアップし、3周に渡って走行しました。39周目終了時、ペレスは最初のリスタート時と同じ違反を繰り返し、再スタートの合図であるセーフティカーのライトが消える前にペースカーとの差を10車身以上広げてしまいました。

ペレスはレース後の記者会見で「ベルント(・マイランダー セーフティカーのドライバー)とちょっと行き違いがあった」と説明しました。2回目の再スタートでは、ペレスはメイランダーと並走し、スピードを上げるようジェスチャーで促しています。

「(路面が乾いていて)僕がついていけるところでは彼はすごく遅くて、(路面が濡れていて)僕がついていけないところでは、彼は速かった。だから、ちょっとしたコミュニケーションミスがあったんだ。でも、このような(濡れた)コンディションは普通ではないんだ。だから、僕らが直面していたコンディション、特に最終セクターが超トリッキーだった」

ただ、これは彼がレースをリードしてセーフティカーの後ろを走るという経験不足から来たミスで、ルクレールやフェルスタッペンであれば、同様のミスはしなかったでしょう。

40周目にレースが再開され、ペレスが再びルクレールをリードします。2人は新しいミディアムタイヤを使いこなし、タイヤの温度にも注意しながら走ります。

ペレスが1.1秒差までリードを広げると、今度はルクレールが猛烈に追い上げてきました。その後、ルクレールは0.7秒差までリードを縮め、スリリングなレースを展開となります。

ルクレールは何度もペレスのリアに迫り、43周目にはついにDRSが作動。ルクレールはオーバーテイクを狙います。さらに、この息を呑むような展開で、ペレスが「ドライバビリティ」の問題を訴え始め、ルクレールには絶好のチャンスが訪れます。

シンガポールGPのコースレイアウト

後にペレスは「エンジンが予想外の動きをすることが何度かあった」と説明しましたが、のちにペレスはハンドリング低下の主な原因を、再スタート後の早い段階でタイヤが温まらなかったこととしています。彼は「セーフティカーの後ろでタイヤの温度を奪われ、スリックタイヤでウェットパッチを走るのは本当に難しい。一度滑り出すとただの乗客になり、なにもできないんだ」と述べています。

ルクレールは勝利をつかむために全力を尽くしました。45周目のターン14で一時的にロックし、その後、今度はペレスが同じポイントで2回さらにひどい状態に陥りました。しかし、レッドブルは直線で十分な速さがあり、DRSで簡単にパスされる心配はありませんでした。

ルクレールは「ストレートでオーバーテイクしなければならなかったから、できるだけ近づこうと思ったんだ」と説明しました。

「イン側の路面がどうなっているのかよくわからないから、ブレーキングゾーンに入ってからブレーキをかけることもできなかったし、そういうリスクは冒したくなかったんだ。というのも、イン側のコースがどうなっているのかよくわからないし、そのようなリスクを負いたくなかったからだ。でも僕にとっては、そんなことをする価値はなかったんだ。だから、僕はただ正しいチャンスを待っていたんだ。それは残念ながら最後まで訪れなかった」。

48周目にルクレールがターン16で奥まで飛び込み過ぎてDRSの圏外となり、それ以降再びDRSの圏内に入ることはありませんでした。52周目にもターン16でさらに0.7秒を失いましたが、ペレスはすでに1.9秒の差をつけており、この時、ルクレールはペレスのタイヤ温度が動作範囲に入ったと考えて、これが2つ目の大きな敗因になりました。

「DRSを失ったとき、ちょうどチェコのタイヤが正常に機能し始めて、少し驚いた。それ以前はすべてが限界だった。このようなコンディションでダーティエアの中を走るのは、わずかなミスでも大きな代償を払うことになるんだ」。

ペレスはレースをリードしていましたが、先程のセーフティカー違反の調査があることがわかっていたので、さらに差を広げる必要がありました。そのためペレスは「残り15周を予選のようにプッシュ」し、7.6秒差でフラッグを受けました。

ピレリのタイヤ交換リスト

ルクレールは、ペレスにペナルティの可能性があることから、なんとか差を5秒以内にしようとしましたが、タイヤの持ちが悪いフェラーリはまったくペレスに対抗することができませんでした。ルクレールはこの状況の中で、できる限りプッシュしましたが、ペレスに差を広げられるばかりでした。

最終的にペレスには5秒加算のペナルティが付与されましたが、彼の優勝は覆ることはありませんでした。スチュワードはペレスが2回のリスタートで違反をしていると判断しました。その理由は、よく言えば混乱したものでした。

「ペレスが10台分以内のギャップを維持することが不可能または危険であるような状況であったとは認められない」と、それぞれの評決を発表した文書の重要な部分は同じです。「それでも我々は、ウェットコンディションとペレスが強調した困難さを、この事故の緩和的な状況として考慮した」。

1回目の違反については戒告処分となりましたが、2回目の違反についてはスチュワードが「ペレスはレース中に55条10項に違反し、レースディレクターからの警告を受けた後、2回目の違反となった」と指摘し、5秒のタイム加算が行われました。簡単に言えばレース結果を変えないために、レース結果を変えない程度にペナルティを与えたとなるでしょうか。

これはフェラーリのファン以外には、観客にとっても、テレビの視聴者にとってもいいことだったと思います。レース終了後、何時間もたって優勝者が交代するのは見たくないですよね。

確かに混乱はありました。しかし、正しい勝者がこの夜を制し、ペレスは喜びに浸っていました。

「最高のパフォーマンスだった」と彼はパルクフェルメで語りました。「ウォームアップは大変だったけれど、レースをコントロールできた。最後の数周はとても激しかった。クルマの中ではそれほど感じなかったけど、マシンを降りたらそう感じたんだ」。

こうして65分遅れでスタートしたレースは、レッドブルのセルジオ・ペレスが優勝、ポールポジションのルクレールが2位となりました。ルクレールとしてはフェルスタッペンが上位にないレースで優勝したかったのですが、それを叶えることができませんでした。

勝てなかったものの7位でフィニッシュし、日本GPへ臨むフェルスタッペン

▽フェルスタッペンの逆襲
そのフェルスタッペンですが予選でのチームの判断ミスが、彼のレースを台無しにしました。予選Q3では路面がどんどん乾いてきて、最後のアタックが決定的な意味を持ちました。そのためどのマシンも燃料をたくさん積みタイムアタックを連続していました。

そんな中フェルスタッペンの最後からひとつ前のアタックをチームは途中でやめるよう支持しました。これは最後のアタックのほうが路面状況がいいのがわかったので、最後のアタックを一番いい条件で走らせるための判断でした。それはそのままアタックを続けた場合、最後のアタックで前を走るガスリーに引っ掛かりそうだったからです。なので一つ前のアタックを中止し、スローダウンしてガスリーとの差を広げ、最後のアタックにすべてを掛ける作戦でした。

ところが最後のアタックでフェルスタッペンが最速タイムを更新して残りあと2つのコーナーとなったところで、チームからピットに入るように支持が出ます。納得のいかないフェルスタッペンでしたが、とりあえず指示通りにピットインします。

ただこれでタイムを更新できなかったフェルスタッペンは予選8位という結果に終わりました。これは最後のアタックを完了して、インラップを走ってピットに戻ってくると、ルールで定められていた予選終了後の燃料サンプルの量が足りなくなるので、チームがそのような指示を出しました。

もし燃料サンプルの量が規定より少ない場合、フェルスタッペンは最後尾スタートとなり、追い抜きの難しいシンガポールGPで、それはレースを失うことを意味しました。そのためチームは、そのようなリスクを冒せず、最後のアタックを中止する判断をしました。しかしそれなら最後からひとつ前のアタックをさせる判断をするべきでした。それでも十分にポールを狙えるタイムだったと思います。しかしチームが燃料不足に気がついたのは、最終ラップに入ってからでした。

このようにチーム側の判断ミスで、フェルスタッペンは8位スタートなります。ただスパやモンツァで13位や7位から逆転優勝した実績がありますが、このシンガポールでは、いかに最速のレッドブル・ホンダとフェルスタッペンといえども勝つのは簡単ではありません。オーバーテイクするのが極めて難しいサーキットだからです。

フェルスタッペンはスタートでエンストして順位を12位にまで落とします。その後、徐々に順位を上げー時には5位にまで上がってきました。そしてセーフティカー空けのターン7でノリスのインに飛び込みオーバーテイクを試みます。「並びかけてブレーキングしたんだけど、そんなに遅くはないよ、でもボトミングしてしまい止まれなかった」とフェルスタッペンは述べています。

その結果、フェルスタッペンは激しくロックアップし、ターン7のエスケープロードに飛び出しました。そのため彼の履いていたミディアムは駄目になりタイヤ交換を強いられ、ソフトへ交換して後退しますが、それでもフェルスタッペンは7位までカムバックし、ルクレールに104ポイントのリードを築いて日本GPに臨みます。

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