Formula Passion : F1 コラム&ニュース

フェラーリには創造性が不足しているのか?

  フェラーリのテクニカルディレクターを務めるジェームズ・アリソンは、フェラーリが勝てるマシンを開発したければ、より創造的である必要があると述べている。 彼のこの意見はとても核心的な部分をついている。 F1マシンはその開発領域を、とても厳しく制限されており、ライバルと圧倒的な差をつけるのが難しい。これはF1の競争を激しくさせており、結果的に他のカテゴリーより、ドライバーの力量が結果に反映されやすくなっている。 しかし実際問題として、マシンの差はある。その差がたとえ0.3秒程度だとしても、ほぼマシンの性能を精一杯引き出すことができる優れたF1ドライバーであれば、そのままのタイム差をレースで出すことは可能である。その差は10周で3秒、50周で15秒差になり、結果に大きな影響を与える。 ではその差とはどこから生まれてくるのであろうか。それは人間の頭の中から生まれてくる。だからニューウェイのような優れたエンジニアはどのチームも欲しがるわけである。 しかしすぐれた人間が集まれば、いいマシンが作れるとは限らないのがおもしろい。どんなに優れた創造性を持つ人間がいても、それを実現するには技術的や信頼性の問題がある。 どんなに優れたアイディアでもそれを実現できなければ、意味はない。それを実現するには、多くの人間のサポートが必要である。特に上に立つ上級管理職の判断は決定的な意味を持つ。 部下に想像力を発揮させるということは、その結果責任を管理職や組織全体で引き受けると言うことである。それがない組織は硬直化し、官僚主義に陥り、パフォーマンスが落ちる。 もちろん管理職は創造的なアイディアの実現性、費用、時間、効果を検討し、どれを開発し、どれを捨てるかを考えて判断しなければならない。そのリスクを個人ではなく、組織で引き受けなければ、創造性を発揮できる組織にはならない。 また過度に結果にとらわれている組織では、創造性は失われる。失敗して首になるような組織で、誰が創造性を発揮しようとするだろうか。失敗を恐れて、実績のある事しかやらなくなるのは、明らかである。 創造性があると言うことは、過去に実績がないということでもある。実績がないことを試すと言うことは失敗の可能性もあるし、その可能性は高いと言うことでもある。 そう考えるとレッドブルが過去4年間タイトルを独占したのは、ニューウェイの力も大きいが、ニューウェイが部下に創造性を発揮させる組織を作り上げたことも大きい。特に今のF1は大きなチームでは100名を超えるエンジニアがマシンの開発に携わっており、個人だけで優れたマシンを作り出すことは、不可能である。 つまりアリソンが言っているのは、創造性の問題ではあるのだが、彼はフェラーリの組織自体に問題があること見抜いている。ただ立場上、それを言えないから創造性が必要であると述べている。 だからフェラーリが組織自体を改めないと、どれほど優れた人間を連れてきても、結果はかわらない。結果が残せないチームとは、問題が外にあるのではなく、チーム内にあることが多い。 フェラーリはいつ、それに気がつくのであろうか。

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