フェラーリは4戦ぶりの勝利を1-2フィニッシュで飾った。この勝利自体は驚くことではない。ここはフェラーリに有利なサーキットであるからである。逆にいうとここでメルセデスに負けるようだと、フェラーリは絶体絶命のピンチに陥っていた。
フェラーリが一位と二位、メルセデスが三位と四位だったが、この両チームの対応が対照的であり、とても興味深かった。
ことの発端はベッテルのトラブルにあった。ポールからいいスタートを決めてトップを走るベッテル。タイヤ交換も終えて、あとはゴールまでマシンを連れて帰るだけであった。ところがそんなベッテルをトラブルが襲う。
メインストレートを走る彼のステアリングが左側に傾いて来たのだ。つまりベッテルのステアリングは少し左に切っているのにマシンはまっすぐ走っている。このためベッテルは左コーナーを速く走ることが難しくなってきた。
この原因はまだわかっていないのだが、ステアリングかサスペンションのトラブルであるのは明らかである。原因がわからないベッテルは、縁石を使わないように、慎重に走った。縁石に乗り上げるとサスペンションに衝撃があり、トラブルが深刻になる可能性があるからである。
このトラブルはレースが進むにつれ深刻になってきて、ベッテルは通常より2秒近く遅く走らざるを得なかった。
また終盤にセーフティカーが出て、最後のスプリント勝負になった際に、タイヤを温存するためにベッテルは必要以上にペースを落とした。
そのため、ベッテルのペースはかなり遅く、後ろを走るライコネンは、チームにラジオでベッテルは真面目に走っているのか問い合わせたほどである。
これに割りを食ったのは二位を走るライコネンである。ベッテルのペースが落ちたことにより、三位のボッタスが直後に迫って来た。
ここでフェラーリは、二台の順位を入れ替えるかにも思われた。結果的に二位に落ちたベッテルが、メルセデスのアタックを防げば、最後にもう一度順位を戻し、ベッテルを勝たせることもできた。だが彼らはその選択をしなかった。
一方のメルセデスはボッタスの後ろを走るハミルトンのペースがいいとわかると、ハミルトンを前に出して、フェラーリにアタックさせた。そして最終ラップまでフェラーリを抜くことができなかったハミルトンはボッタスに対して順位を戻した。
実はメルセデスは順位を戻さないのではと考えていた。一つ目の理由はボッタスのペースが遅く、すぐ直後にフェルスタッペンがいて、順位を戻すのが難しい状況であった。
二番目の理由はボッタスのペースが遅くハミルトンとの差が6秒も開き、順位を戻す正当性が少なくなった。
そして三番目の理由はベッテルとチャンピオンを争うハミルトンにより多くの得点をあげたかった。もちろんボッタスもチャンピオン争いをしてはいるのだが、現実問題としてチャンピオン争いはベッテルとハミルトンに絞られている。であれば、三位と四位を入れ替える必要はないと考えてもおかしくはない。
F1は究極的にはドライバータイトルが重要であり、コンストラクターズタイトルも重要ではあるが、三位と四位を入れ替えても、入れ替えなくても、コンストラクターズポイント的には同じである。
だから最後に順位を入れ替えたのは意外でもあった。もちろんスポーツとしては見ていて清々しい気分になったことは事実だ。
だが数百億円を投資し、数百人の人間がたった二台のマシンを走らせタイトルを争う。それがF1 GPである。
このレースでハミルトンが失ったのはたったの3ポイントだったかもしれない。だがタイトルを失うには3ポイントを十分なポイントである。
そして接戦となったシーズンでチャンピオンが決まるのはたったの1ポイントや2ポイント差であることも多い。0.5ポイント差でチャンピオンが決まったこともある。
そう考えると順位を戻すメルセデスの判断はかなり大胆である。
一方のフェラーリは順位を入れ替えることはまったく考えていなかっただろう。今のフェラーリはベッテルのチームであって、一次的であれライコネンを前に出すことはありえない。
これはライコネンにとって、大きなブラストレーションが溜まる状況であるが、それが嫌なら契約しないというのがフェラーリの一貫した立場である。これは今に始まったことではなく、シューマッハの時代も、アロンソの時代もそうであり、チームメイトは常に割りを食っていた。
これが勝利を求めるフェラーリの伝統である。今年のチャンピオンが誰になるにせよ、この順位を戻したことによりポイントを失ったことは数年も経てばほとんど忘れ去られてしまう。
人々の記憶に残るのは結果だけである。しかもチャンピオンしか記憶に残らない。そう考えるとこのフェラーリの判断もあながち責められるものではない思えてくる。